キートンのメンタリティ

私はユニークな発想ができる人間で、それを肯定的に評価してくれる人が、たまにいる。他人にとってはなかなか実行できないことが、私は無理せずにできるところがあるからだろう。

そういう人たちは、私が輝いている姿と、自の夢を重ね合せることがあるらしい。私を雇ってなにか成し遂げたいと思う人が、私の周りにはよく現れるのだ。でも、私はいわゆる成功意欲は強くないタイプで、無理して成功しなくてもいいと思っている。大金持ちになって人格が破綻したり、成功を目指して人を蹴落としたり、守るものが多くなりすぎて身動きが取れなくなることのほうが、よほど怖いのだ。

もちろんベトナムという、いまアツい、特殊スキルを持っていることが関係しているのだろう。現場マネージャーとしてそこそこ満足していたところ、「あなたはこんなところで留まる器じゃない」と言われ、社長の描くビジョンに乗せられそうになったが、覚悟が固まらないままに物別れに終わる、といったこともあった。

「成功志向が強くなく、野心がない」のに「ユニークさを発揮したい」という相反する性格を持っているため、安定志向の人からはついていけないと言われ、起業家マインドの強い人からはやる気がないと思われる。どうにも中途半端なのだ。

そういえば学生のとき、テニスのスタイルもトリッキーだとよく言われた。見てて楽しくて、常人にはできないようなショットをするが、常人にできるようなショットができなかったりする。だから結局、2−3回戦は勝てても、それ以上にはいけず、そこそこの結果に終わってしまう。練習しない人には勝てても、しっかりとした努力を重ねてきた正統派実力者に対しては、やっぱり負けてしまうのだ。

この1年くらい、大きな夢を抱く起業家から、一緒にやろうと口説かれることが多い。でも、その期待に答えられるかと思うと、「そこそこ思考」が頭をもたげ、プレッシャーに感じてしまう。でも、そろそろどちらに軸足を置いた人生にするのか、価値観を固めなければならない時期にさしかかっていると感じる。

永遠の厨二病ではないが、永遠のマスターキートン病といえるかもしれない。一見ひ弱だが、芯は強く、弱者に優しい。軍隊やオプの経験、考古学の知識など、それだけで生きていけるスキルも持っている。でもキートンは、どれに決めるわけでもなく、生き方は中途半端だし、本人もやきもきしているように見える。そんなキートンの年齢に、私は追いつこうとしている。キートンに憧れるだけではなく、キートンを超えるような生き方をしていきたい。