【Vol154】協力隊候補生に告ぐ:あなたは誠実な人ですか?

私は2014年の夏に、福島県二本松市のJICAトレーニングセンターで行われた70日の訓練を修了し、任地ベトナム・ドンラム村に派遣となった。派遣前訓練とは100人以上の隊員候補生が共同生活を営み、語学や体力作りを中心とした研修を行うものだ。みんな人を助け合い、素直な性格をしている人たちなのは、先日書いた通り。

しかし中には、語学をあまり勉強することなく、(ごくわずかだが)違和感を覚えることを言う候補生たちもいた。

「僕はスポーツ隊員だから、身振り手振りで伝えられる。だから語学は必要ない」

「私の任地は英語が通じるから、片言なら最初からできる。いま頑張らなくても、現地に行けば何とかなると思う」

ひとつひとつには、本当のことが含まれていると思う。スポーツ隊員を例に出すならば、自らのスキルが大切だし、実技指導にあたっては語学の必要は薄いのかもしれない。さらに、活動言語が英語ならば、語学の勉強はそこそこに、訓練期間中の浮いた時間で語学以外の有意義なことをことをするいうことは、選択肢としてあり得る。

では、どうして私は彼らに対して、違和感を覚えてしまったのか、これまで言語化できずにいた。しかし最近、このメッセージを目にして、思考が整理できた。これは二本松研修所の語学講師が書いたものだ。

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JICAボランティアプログラムに参加する人にとって最も重要な特性は、“誠実な人となり”を備えていることだと思う。公式には、ホスト国の要求を満たすために特定のスキルを持っている人が募集されており、「ボランティア精神」を有することもまた期待されている。しかし、これらの資格を有しているかどうかを判断するための基準は不十分である。また、配属される職場における様々な問題や、現地/任国の文化は、応募者が知っているものと全く異なる場合もあり、期待されている通りに問題を解決できる能力を有しているボランティアはごく少数であるというのが現状である。

したがって、最も重要な特性は“誠意”である。

“誠意”のない候補者は、この訓練所での70日間の訓練を、海外での夢のような冒険の前に立ちはだかる障害物であると考えるかもしれないが、“誠意”のあるボランティア候補者は、自身に課せられる課題を克服するには準備をしなければならないということを理解している。

誠実なボランティア候補者は、選考に合格した時点で、自身の能力と求められている課題のギャップに着目し、それを埋めるために真剣に取り組むのである。

“誠実”は事前に準備をしたいと望む原動力であり、問題を解決し結果を出せるボランティアを育てる(赤線筆者)。

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そうなのだ、違和感の正体は、彼らに誠実さが欠けているように見えたからだ。誠実さに欠けるとは、自分の能力と課題のギャップに着目しようとせず、それを埋めるための努力をしない態度である。それが「行けば何とかなる」「スポーツ指導は身ぶり手ぶりで十分」という発言に表れているから、違和感を覚えたのだ。

もちろん最低限のことをやっていれば、語学を熱心に勉強しないという選択肢があってもいいが、浮いた時間は任地で直面すると予想される困難を解決できるスキルの習得に充てる。そんな人が誠実な人となりを備えているのであり、ボランティアにふさわしいのだと、語学講師は喝破した。さて、例えば浮いた時間にブログ執筆に精を出す行為は、誠実な態度と言えるだろうか。

このままでは何も成し遂げられないという危機感を持ち、自ら見出した課題に真剣に向き合い、70日間を過ごした人は誠実な人であり、ボランティアにふさわしい。私の場合、それはやはりベトナム語の習得だった。私はJICAについてよく思っていないことも多いが、このような講師がいることを嬉しく思う。

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