【Vol8】猛暑の中、停電とクーラーに思うこと

クーラーの話。

東京生まれ東京育ちの私は生まれてこのかた、夏にクーラーを欠かしたことがない。

去年もなかったのだが、福島の二本松という山の上で研修生活を送っていたので、大したことはなかった。

今年の夏はベトナムの田舎に暮らしているのだけれど、これはもう、暑いという以外の形容詞が見つからないくらいな場所だ。

その暑さといったら、もう自分と太陽との距離がずいぶん近くなってしまったのではないかと思うような日光が、皮膚に食い込んでくる。日光が自分の体を貫通して、熱気が全身を循環するような感覚だ。

夜になっても、気温はいっこうに下がらない。一番暑いときは深夜1時で室温34度を記録した。

なかなか寝付けずにベッドや床の上をごろごろし、ようやく寝付いたころには明け方で、体力の回復を図れない日々を過ごしてきた。当然、食べることもままならず、じわじわと体力を奪われていく。

こうなると、何かしようと思っても、できない。仕事も、勉強も。

生きるためにどうにか食べるとか、それ以外のことはできなくなる。

ここまでしないと、気付けなかった。自分を形成している頭や体は、クーラーがある環境を前提として、養われていたことに。自分が英語やベトナム語ができるのは、努力の結果というよりも、その前提として努力できるだけの環境に支えられていた、ということに。

クーラーを動かすだけのインフラや、日本の経済力や技術力(なにしろ、メイドインジャパンを世界で日本が一番安く買えるのだ)が整っている国に生まれた幸せを、考えたこともなかった。

自分の努力を否定するものじゃないけど、努力できる環境にあったことを感謝したほうがいいし、努力しようと思っても、日々生き抜くことに精いっぱいな人も大勢いることを忘れない方がいい。

それにしても暑い。

そんなことを考えていたところ、ホームステイ先のお母さんからメールが。

ミナミ、クーラー、買うことにしたから。電気代値上げね」

いやいや、ウソでしょう(後半は聞こえていない)。クーラーという名の何か別のものでしょう。

あくまでも

「もうひとつ扇風機がつけばラッキー」くらいな感覚で、村に帰り、部屋に入った。

まさかね・・まさかね・・。

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・・感動の対面である。これほどまでに、Panasonicの文字が誇らしく思えた瞬間はない(感動のあまり手ブレ)。

しかし次の瞬間。停電。

停電になると、みんな庭に出てきて、ろうそくや懐中電灯を片手に、ライチを食べたりしながら取りとめのない話をする。

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2時間くらい停電してたので、ホームステイ先の末っ子に日本語を教えてあげた。

「ライチ、オイシー!」だって。

カタカナがとてもおもしろいらしく、夢中でなぞっている。

せっかくのクーラーが使えなかったのは残念ですが、ベトナムのこどもが初めて日本語に触れる瞬間、というのは心が動くものがありました。

自分がいなかったら、この子は一生日本語に触れる機会がなかったかもしれない、と。

そう思うと、停電もよいもの・・なのかもしれません。

ちなみに、クーラーを使って寝たら、カゼ引いて2日寝込みました。すっかり体がベトナム仕様になってしまったようです。