【Vol13】青年海外協力隊員になるまで~

なんで青年海外協力隊員になったかって?

いくどとなく聞かれたけど、一言で表せるものではありません。

頭の整理のためにも、少しずつ、書いていけたらと思います。

まずはきっかけから。

きっかけは、2011年の秋、震災直後、仕事がうまくいかなかった時期のことです。

ぼんやりと転職を考えていたのですが、なかなかピンとくるものがありませんでした。

そのとき読んだ本に「海外で働く方法として、青年海外協力隊がある」と作家の佐藤優さんが書いていました。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4594064752/ref=pd_sim_14_1?ie=UTF8&refRID=0DHS5JZ47ADWZWBHXKGA

無題

確か「ツテはないけどインドで働きたい」という相談に答える形でした。

彼は外務省から追い出され、いまは作家として活躍しています。

追い出された組織のことは、一般的に人は悪く言いがちですが、青年海外協力隊のことは、かなり誉めていましたのが印象に残ったのです。さらに、彼は有名な「深夜特急」の一説を引用します。記憶が定かではありませんが、思いだして書いてみます。

「インドの果ての果ての孤児院で、星空のもとで子どもたちと歌っていると、ああ遠くに来てしまったんだなという感慨を新たにした。センチメンタルな気分になったが、それは不快なものではなかった」

その引用のあとに「相談者さんも、そうした経験ができるはずです。勇気を持って日本を飛び出しましょう」と結んでいました。

へー。と思いました。興味を持ってJICAのサイトを覗いてみたりしましたが、当時の自分は、メンタルフィジカルともによい状態とはいえず、、とても何かにチャレンジする気になれませんでした。

そうこうしているうちに2012年も半ばを過ぎます。そこで決めました。1年かけて、受験してみよう、と。

自分の中でブレイクスルーを起こし、将来振り返ってみて、過去にこれだけは自分はやったという、背骨を作りたかったのです。

2013年の春募集で初めて説明会に行きました。でも、まだ受験には至らなかった。説明会にいる周りのみんなやOBOGの人がすごい人のようにみえて、チャレンジすら恐ろしくなってしまったのです。なにかを受験するには、けっこうなエネルギーがいる。

そこで、秋募集までにできることを考えました。

①体質改善

②面接対策

大きく分けて2つです。

まず血液検査を行いました。2011年から2年がかりでひどい生活を送っていたので、当然、いくつかよくない値が出ています。青年海外協力隊は健康状態がとても大切なので、これではとても受からない。健康診断の基準(公開されています)で引っかかっている値を、改善する方法を考えました。

といっても、特にやることは多くありません。規則正しい生活をし、運動を行い、健康によいモノを食べる。それだけのことです。

そこで2013年の春から秋にかけ、実家に戻り、基本的に外食はせず、お酒をやめ、毎日ジムに通いました。自分の体が変わっていくのは気持ちがいいものです。11月の秋募集のときには、すべての基準が基準値以内に収まっていました。

次に面接対策としては、夏に駒ケ根訓練所を見学する機会があったので、それに参加しました。合格者のレベルを知ることができたころで、数字上の倍率やネットの情報ではなく、あと数カ月で彼らレベルになれれば受かる、と感覚的な基準を持てました。何よりも、訓練所での生活は厳しいながらも充実している様子で、志望の意志が高まったのです。

書類選考合格後、すぐに面接です。情報収集し、JICAの技術顧問をしている年配の大学教授が面接官であることを知りました。つまり、JICAの職員ではなく「職種」についての専門家ということです。私の場合は、コミュニティ開発。面接官の情報だけで、少なからずのことを準備できます。

面接会場は東京です。私は東京に住んでいたので、JICAはホテルを用意してくれません。

そこで、ちょっとした工夫をしました。、前日は地方から上京する他の候補者と同じホテルに、自費で泊まったのです。

なぜそんなことをしたのか。

ライバルたちは長い時間をかけて東京に来て、緊張感を持ったまま一夜を過ごし、面接に臨みます。

そんなライバルたちと競うのに、日常の延長にあるような意識で面接に臨んでは、絶対に不利だと考えたからです。

夜、ベットの上で面接の想定問答を復習していると、壁を隔てて隣の部屋からも、そのような声が聞こえてきます。いやが応にも緊張感が増してきました。

面接当日は雨が降っていました。坂が多い市ヶ谷の街。たくさんの候補者が会場に向かい、説明を受けます。

長い長い待ち時間を経て、面接に呼ばれました。面接は2回あります。

面接官が気にしていたのは、主に3つでした。

・なぜコミュニティ開発を選んだのか。

―たまたまコミュニティ開発を志望した人にとっては、難しい質問だと思います。僕はサラリーマン時代、日頃から考えていたテーマなので、それほど苦にはなりませんでした。面接官はコミュニティ開発の専門家なので、ここでグッと印象付けることが重要です。

ベトナム語は大丈夫か。

ベトナム語は難しいと面接官は強調していました。ただ、ヒマなときに英語の勉強をしていて、応募者としてのA評価(基準はトイック730点)を持っていたので、外国語にアレルギーはないとアピールできたのはよかったと思います。

・帰国後の進路

―ここは事前情報でも仕入れていたポイントでした。「合格後、現職参加できるよう、会社に相談するつもりです」とだけ言いました。これから世界に出ていこうとする身で、実質3年後の未来を予想し、それを他人に納得してもらうようプレゼンするのは不可能です。そこで現職参加の意志を伝えて、そのリスクを回避しました。

1カ月後、合格していました。何とも言えない安堵感がありました。

合格するコツはいくつかあります。要は、JICAの懸念点を払しょくしていけばいいのです。JICAの懸念点とは、せっかく合格させた隊員が健康を害して帰国したり、進路が決まらなくてプーになることです。あるいは現地で「あの隊員は、全然現地語を話せない」と外部の日本人に評価されることです。それはつまり、JICAの評判に跳ね返ってきて、予算を削られかねません。JICAという組織は、JICAの存在意義をアピールすることが、組織の仕事の半分くらいを占めています。JICAが避けたいのは税金の無駄遣いそのものではなく、無駄遣いだと国民に評価されることです。この2つは似て非なるものです。

組織は組織の利益のために行動しています。青年海外協力隊は、JICAの予算確保のために存在しているという側面は、無視できない事実です。もちろんJICAに限らず、どこの組織でもそれはあることなので、ここでJICAを批判しようとは思いません。結果として、素晴らしい国際極力につながっている例もありますし、たくさんの素晴らしい日本人の若者が育っていることでしょう。私自身もそうありたいと日々、活動しています。

話がそれました。ポイントは3つ。健康、進路に最新の注意を払うこと。そして、ある程度英語を勉強しておくこと。国際協力についての知見や現地でやりたいことは、優先順位を低くして構わないのではないでしょうか。

倍率が高いと言われるコミュニティ開発ですが、やるべきことを半年間準備すれば、結果はついてきます。20代半ばくらいまでならば勢いで受かる気もしますが、年を重ねるごとに、かなり戦略的に動く必要がある印象です。

もし受験を考えている方がいたら、がんばってくださいね。