【Vol12】自主的夏休み
先週はすっかりダウンしていました。職場は研修で人がいないこともあり、外出もせず、部屋でずっと引きこもっていました。
どーにもこーにもやる気が出なくて、ホストファミリーとベトナム語で話すことにも疲れ果て、トイレ、部屋、台所が主な行動範囲でした。夕方、涼しくなったころ、村を散歩し、ちょっと村人と雑談して帰宅。夜、週2回、日本語と英語を子どもたちに教えているので、それだけはサボりませんでした。
思えば、1年近く、かなり無理をしていたのでしょう。
頭では「協力隊員ってそんなもの」と思いがちだし、言われがちですが、体と心は疲れ果てていたのではないかと思います。
自宅→訓練所→ハノイ→任地と数カ月のうちに目まぐるしく環境が変わり、さらにがんばらなきゃ、と気が張っていました。
住まいだけではなく、家族、職場、同僚、友人・・すべてが変化の連続でした。
「自分で決めたことだから」
「税金を使っているのだから」
と理屈ではがんばる方向にどうしても向かってしまいますが、そこは生身の人間です。
隊員は現地の人と同じ目線で活動するので、厳しい環境でも耐えなきゃ、とよく言われますが、大きく違うのは、現地の人はここが故郷であるということ。例えば、いくら東京の生活が日本人にとっては快適でも、外国人にとってはストレスが貯まることも多いでしょう。僕が子どものころ、神のお告げで帰国する阪神の外国人選手もいました。
それと同じで、自分にそうとう負担がかかっていることを自覚していませんでした。
ましてや、それなりに人生経験があり、見るもの食べるものすべてが面白い、おいしいとは感じられない年頃です。
青年海外協力隊員になって、はじめてもう若くないなと自覚するのも諧謔的ですが。
幸いにも、多くの友人から心配していただき、休養した結果、もう一度やる気が出てきそうな気配です。
電話やメール、コメントくれた方や、陰ながら応援してくれる方、本当に感謝しています。
元気が出てきたとたんの昨日、ひざを痛めました。
まるでアメリカによくいる超おデブな人みたいな歩き方になっています。
一難去ってまた一難ではありますが、体が警告を発しているのでしょう。むしろこの程度で済んでよかったのかもしれません。
おりしも、学校関係者は休みの時期。2ヵ月休みなんて人も珍しくありません。
それに乗っかるわけじゃありませんが、やりたいときに、やりたいことをやる、少しの間はそんな生活をしていきたいと思います。
7/22から2週間ほど、日本に一時帰国することにしました。
神のお告げはありませんでしたが。
ぜひ久しぶりに、会って下さいね。