【Vol90】厳しい環境で根性を鍛えるという論理は果たして・・

平成27年度3次隊の派遣前訓練が修了したとのこと。新生活を控えて、胸に期待を膨らませている新隊員も多いと思う。活動を進めるにあたって基盤になるのが、生活。生活の基盤になるのは、何といっても家である。青年海外協力隊の理念として「現地の人とともに汗を流す」というものがある。現地の人と同じ生活水準で、同じ目線に立つ。理念としては素晴らしいし、なるべくそうあるべきだと思う。

しかし運が悪いと、生活すらうまくいかず、病気になって帰任ということすら考えられる、協力隊員にとってはリスキーな理念でもある。

運が悪いと、と書いたのは、生活基盤となる「家」の問題だ。

どの家に住むかは、隊員自身が決めるものではない。配属先が用意するか、JICAサイドが用意するかのどちらかが一般的だ。つまり、どんな物件に当たるかは運だ。残念ながら、そこに格差は存在する。ベトナムでも物件によっては1泊20ドルくらいで貸している部屋もあったり、3ドルでも外国人は泊まらないような、厳しい部屋もごく少数だが、存在する。

私の場合、運悪く後者だった。こちらはレストラン兼自宅へのホームステイだったのだが、夜、ネズミが部屋に出るので暗くして寝られない、湖が隣にあっておびただしい数の蚊に襲われる、トイレシャワーが屋外、レストランに来る客のカラオケ騒音で気が休まらないと、かなりのものだった。一番落ち着くのが平日の午前中なのだが、その時間に部屋で休んでいるとJICAに告げ口され、JICA職員(調整員さん)に注意されてしまう。すると私も調整員さんに対して不満をぶつけ、泥沼の言い合いになった。そういうことが続くと、普段流せるようなささいなことがストレスになり、本当に解決すべき課題が見えなくなってしまう。

いちど、食中毒になり、入院したときのエピソード。タクシーを飛ばしてハノイの病院に辿り着き、4時間ほど点滴を受けた。精密検査の結果、重病ではないため、病状が落ち着くと、医者は「帰っていいよ。でも2,3日、清潔な部屋で安静にすること」と告げたのだ。でも消耗しきっていた私は、あの家に帰るだけで絶望的な気分になり、医者に泣いて「入院させてください」と懇願した。医者が事情を聞いてくれた結果、1泊の入院となったのだが、「清潔な場所で、安静にすること」というのが、家によっては不可能で、ドミトリーのないベトナムでは自費負担となるのだ。せめて回復期間中は清潔なホテルに泊まる処置を取らせるべきだろう。お金がないからと回復途上で無理に帰宅し、重大な事態を招いた可能性もあるのだ。これは青年海外協力隊事業の欠陥であり、JICAに改善を求めたい。

5か月経った後、違うホームステイ先への引っ越しが認められた。それからはどうにか平穏に夜中寝て、体力を回復できるだけの環境が整った。

いま振り返って、あの時期は、意味があったのか。いまだに結論が出せない。

根性がついたともいえるが、あの5か月間の恐怖心は、今でも私の心を締め付ける。一歩間違えれば、帰国を強いられていたかもしれない。電気も水道もろくにない中でがんばっているアフリカ等の隊員に比べれば大した環境ではなく、甘ったれているという意見もあるだろう。でも、まず自分が健康でいないと、ボランティア活動どころではないのも事実だ。例えば、紛争地帯で活動している医者だって、自分の家が難民キャンプなら、実力の半分も出せずに、逆に自分が病人になってしまうだろう。理念は素晴らしくとも、それを強制しても、誰も幸せにならないことだってあるのだ。人には人の生まれ育った環境があり、そこから無理に引き剥がすことで根性をつけるという発想は、果たして健全なのだろうか。

ひとつだけよかったことは、そのホームステイ先の家族と、いまはいい関係を築けているということだ。適切な距離感が取れた結果、家族だったという事実が、私たちを結び付けてくれている。

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最初のホームステイ先、ブンさんタムさん夫婦。私を受け入れてくれて、ありがとう!

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↓家の問題も、1年経ってようやく振りかえれるようになりました。確かに、厳しい環境で根性はついたかもしれません。だからといってお勧めはしませんが・・。たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。

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