【Vol88】退社するにあたって必要なこと

ずっと不思議に思っていたことのひとつに、最近「ソーラン節」が世界中で妙に流行っていることだ。といっても地元の人に流行っているというよりも、日本関係のイベントがあると、なぜかソーラン節を披露する時間が設けられていることが多い。元気はあるけど日本らしさを活かした細やかさからは距離があり、はっきり言って私は好きではないが、JICA関係者の間でも、静かに浸透しているようで、不思議である。日本の伝統文化だと勘違いされないだろうか。

さて、会社を辞めることを決断した話を、前回書いた。

そこで私は、進路である青年海外協力隊のことを誰にも告げないまま、退社に至った。

7年も勤めた会社なのに、なぜそんなことをしたのか。

話は合格発表後に遡る。

退社の意思を伝えたときのことを想像すると、少なくとも直属の上司や部長からは引きとめられることが予想された。単純にひとり戦力がダウンするわけだから、歓迎されることではない。それと同時に、「辞めてなにするの?」と聞かれることになる。青年海外協力隊に参加するということは、一般的にはかなりドラスティックな決断であり、驚きを与える決断だ。賛否両論を呼ぶことは容易に想像できたし、それに対して再度説明して、できれば納得した上で送り出してほしいというのは、手間がかかりそうな選択肢だと直感した。

私は、割とドラスティックな決断をするほうだが、それと同時に、人に気に入られたいという欲望も強く持っている性格だ。このふたつは矛盾しがちで、自分がよかれと思って行動したことが憶測を呼び、コミュニティ内部で噂されることに対して傷つきやすい、という面倒くささを内包している性格だ。特に2010年から2012年にかけて、ほとんど仕事らしい仕事ができていなかったこともあって、「お前が海外!?無謀だな」と嘲笑されたりでもしたら、相当にイヤな気分になることも想像できた。

その性格を考慮し、進路についてはいっさい口を閉ざし、シンプルに「他にすることを決めたので、○月○日をもって辞めることにしました」ということだけを、関係者には伝えることにした。こうすると手続きだけがスムーズに進むことになる。

私の方針は徹底していて、送別会やランチの誘いも、基本的に避けることにした。進路について聞かれそうな場を、徹底的に避けたのだ。退社を伝えてからの1ヵ月半程度は、何事もなかったかのように、ひたすら孤独を貫いた。とにかくその時点での最優先である、体調管理と新天地への準備に集中し、その他のことはなるべく考えないようにした。

それでも、退社が告示されてからは多くの人が惜別の言葉をくれたし、この会社に入れてよかったなと思った。

これは極端な例かもしれないが、「円満退社」になんてこだわる必要なんて、何もないと思う。送別会で色紙や花束をもらったり、「卒業」という言葉で送りだされるのも素敵なことだろうが、もう目線は新しい世界に向いていなくてはいけないのだ。本当に大事な人とは、退社してからも必ず再会するめぐりあわせになっていると、私は思う。

何もかも本当のことを話すことが、誠実さではない。人生の岐路に立って、その決断を相手に伝えるとき、どうして快く応援してくれないんだと悩んだりすることもあるだろう。でも、自分の決断やその理由が波紋を呼び、結果的に自分が傷つくことになるのならば、決断だけを静かに伝え、淡々と実行すればいい。

入社した2007年4月1日。研修後に上野公園で行われた花見に参加した私は、緊張もあって疲れ果て、やっていけるかどうか不安のあまり、終電の中央線で涙してしまった。それから7年。退社した2014年6月30日にも少しだけ泣いたが、その涙はやってやるぞという決意の涙にかわっていた。不安の涙から決意の涙へ。23歳から30歳になるにあたって、私も成長していたのだ。

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