【vol75】1年経って、改めて振り返り。

ベトナム首都ハノイ近郊、ドンラムで村人してます。青年海外協力隊員のminamiです。

現在、掃除機と洗濯機(脱水機)を探しています。読者の方でハノイ周辺で譲って下さる、売ってくださるという方、letteraamoroso@hotmail.comまで、連絡いただけると助かります。

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青年海外協力隊には、たくさんの職種がある。その中でも、専門性が特に求められていない職種が私の「コミュニティ開発」だ。仕事内容は、コミュニティのためになることであれば、基本的に何でもやっていい。範囲が広いため自由度は高いが、その分難易度が高いとも言われている。特にアジア圏は比較的発展しているため、体力がある若者よりも、日本で社会人経験を積んだ人が派遣されることが多い。ベトナムにも、たくさんの隊員が派遣されているが、コミュニティ開発隊員はほとんどいない。

さて、月に1度送られてくるJICAの広報誌「クロスロード」に、コミュニティ開発の技術顧問が寄稿していた。技術顧問とは、我々の選考に直接関わり、また数日間の技術補完研修を担当してくれる方である。やや難解ではあるが、なんども読んで心に残ったので、記しておきたい。

コミュニティ開発隊員は、普段の任地の生活を理解し、既に存在する「知」を再編する必要があり、「発想的」な視点が求められる。そのため、仮説発想的な活動が根本にあり、「気づき」を得なければいけない。しかし当初は言葉の壁があり、成果をダイレクトには語れない上に、それを解決するマニュアルは存在しない。

コミュニティ開発隊員は住民の「生きざま」そのものを隊員個々人の力で紐解いていくしかない。聞き、食べ、歩き、悩み、話し、調べ、気付く。すべて住民とともに、それらを続けることで、現場の理解がより深まる。その学びこそが隊員の意識の変革を生み出し、住民との間に新たな信頼関係が生まれる。壁にぶつかるのは当たり前。それを超えるのは、自己を相対化し学び続ける姿勢である。

正にその通りで、私も赴任当初は壁にぶち当たってばかりだった。そもそも言葉がほとんどわからない。研修などで勉強していたとはいえ、生きたベトナム語はまた全然違う。加えて、初めての田舎暮らし。生活環境と自然環境が、育ってきた東京とはまったく違う。他の任地をうらやんでばかりいて、精神的にも追いつめられていた。でも、自分も村人の1人として生活し、まともに話せるような語学力をつけ、腹を数え切れないほどぶっ壊しながらも村人と同じものを食べて飲んで、一歩ずつ成果の足がかりになるようなことを思考錯誤しているうちに、だんだんと霧が晴れたように目の前がクリアになった。

もう少しうまくやれたのに、と思うこともある。でも、これ以上がんばれないところまでがんばっていたという自負も、同様にある。いま、自分が他人から見てどう見えるかはわからない。でも、けっこう今の自分は好きだ。あらゆる面でタフになったし、これまで以上に人に優しくなれているから。

残りの任期を考え出すにはもう少し経ってからだろうが、学び続ける姿勢は忘れずにいたい。

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↓帰国したら、ぜひ技術顧問の方にもお会いしてみたいです。成長した姿を見せられたら、嬉しく思います。たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。

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