【vol17】訓練所の思い出

訓練所に入所して、1年近くが経つ。

そこで70日間、ひと夏を過ごした。

あれほど勉強した記憶はないし、大げさに表現すれば、あれほど生きることに集中した日々もない。

今日は少しだけ、記憶をたどり、訓練所での1日を紹介してみたい。

日曜日を除き、朝は6時18分から始まる。

なぜそんなピンポイントで特定できるかというと、目覚ましをその時間に設定していたからだ。

起きる瞬間というのは、誰もが経験している通り、自分との戦いだ。

自分との戦いには、ときに負ける。でも、ここで負けてしまったら、遅刻することになる。

だから、私はひとつの工夫をした。

目覚ましがなった瞬間、全身の力を振り絞り、自室のドアを開けるのだ。

そうすれば、もし二度寝してしまったとしても、他の誰かが気付き、起こしてくれる可能性が高まる。

いわゆるリスクヘッジである。

ドアを開けると、さまざまな音が聞こえてくる。光も差し込む。二度寝をしている姿を見られたくないというまっとうな感情も手伝い、ようやく目を覚ます。

着替えとトイレとうがいを済まし、いざ朝の集いへ。

6時30分。起きてからわずか12分だ。

そこで私は毎朝、溜息をつきたくなるような風景を見ることになる。

訓練所は山の上にある。眼下に広がる、夏の高く、強い日差しに照らされた雲と空は、白と黒と水色のグラデーションを作り出す。空気はあくまで乾燥し、澄んでいる。まだ肌寒く、長袖を着ないとじっとしていられないほどだ。地面や街路樹の葉は朝露に濡れ、金色の光を反射している。

「ずるいよなあ・・」と思う。平凡な東北地方の山の上に、毎朝このような美しい風景と空気が存在しているのだ。

朝の集いを終え、朝ごはん、二度寝を終えると、午前の授業が始まる。

午前の授業を終えて昼ご飯のあと、昼寝をして、午後の授業を終える。

午後の授業を終えて講座を受けると、少しだけ自由時間が訪れる。

時間にすると、17時から19時くらいの間だ。雨が降らない限り、私は毎日、テニスをしていた。

夕暮れどきのテニスコートで体を動かしていると、ときどき、とてつもない感覚に襲われる。

毎日10時間近く勉強しているので、頭は疲労している。そこで体を動かすと、頭の疲労が、体に降りてくる。

ベトナム語の単語が、体に染み込んでいく。1歩ステップを踏むごとに、1球ラケットを振るごとに、昼間の出来事が体に落ちてくる。もちろんそれは比喩で、テニスで単語の暗記ができるわけもないのだが、頭の疲労と体の疲労が一体化する感覚は、とても心地良いものだった。

夕ご飯を食べ、風呂に入る。新聞を読む。少しだけ寝る。

20時前くらいから、教室で勉強をする。だいたい同期が何人かいて、励ましあいながらその日の宿題や復習をする。今思うと、やはりひとりでは乗り切れなかったな、と思う。

22時30分、勉強を終え、班の仲間と点呼を取り、一日を振り返る。週末の予定、勉強の様子・・大したことを話はしないが、また明日朝早くから訓練が始まるのだ。みんな健康な若者だが、それなりにハードな生活である。それぞれに抱えている部分はあったのだろう。

少しだけ本を読んで、23時就寝。

これからの時間、トイレ以外の理由で部屋の外に出ると徘徊者扱いされ、これまた厳重注意となる。

いい大人が、コーヒーも飲みに外に出られないのだから馬鹿らしいといえばそれまでだが、みんなが少しずつ不便を我慢することで、規律が生まれた。

規律が生まれると、生活に張りが出る。

生活に張りが出ると、いざというときに集中するスイッチが入りやすくなる。

仲がよくとも、ピンと張りつめた空気を出せる集団生活は気持ちよかったし、困っている人を助けることにも、ためらいがなくなる。

誰かの顔色を窺ったり、人間関係を計算する余裕もないから、それぞれの関係がダイレクトに表現され、大して仲たがいになかったように思う。仲たがいがあったとしても、シンプルにケンカし、シンプルに仲直りすることになる。その関係性は、まるで子どものころにに戻ったようで、楽しかった。

ベトナムに住むと、もう少しシンプルに物事を考えられると思ったが、そんなことはなかった。

ODAの意義、ベトナムに対する感情、協力隊に対して思うこと・・自分にはコントロールできないことに悩んでしまうこともある。

誰もが海外に住む必要はないし、ましてや協力隊という形を取る必要はない。

それでも、あの70日の合宿生活というものは、少なくとも私にとってポジティブな変化を起こしたし、他の人も同様だと思う。

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岳温泉ファミリーマートから。