【vol20】村の寺子屋-日本語教室

ドンラム村は、これまで隊員10名以上が活動してきた。それぞれ建築・コミュニティ開発が4代目、それに短期隊員も加えれば、たくさんの日本人がこの村で活動してきた。残念ながら、配属先への技術継承や意識の変化などはほとんどできておらず、それはそれで大きな問題ではあるのだが、その一方、本来の活動外での仕事が、継続されて行われている。

村での日本語教室だ。

前にも書いたが、ベトナムやドンラム村は、極めて親日的だ。ハノイを歩いていて、日本語教えて!と頼まれることも1度や2度ではない。お互いに語学を教えあい、友人になった例もたくさんある。もちろん英語が外国語としては支配的な地位を占めてはいるのだが、日本語も人気がある。その流れからなのか、ドンラム村の隊員は、ごく自然に日本語教室を受け持つことになる。

ただ、私を含め、日本語教師ではない隊員に、日本語教育のノウハウがあるわけがない。ひらがなを教えたり、簡単な単語やあいさつを教えるので精いっぱいだ。それでも、毎週1回の授業には、ひっきりなしに子どもたちが訪れる。

黒ずんだ教科書のコピー。何度もコピーを繰り返したのだろう。名前も知らない、昔の隊員の名前が書いてある。

子ども10人も入ればいっぱいになってしまうような狭い部屋。クーラーもない中、暗い電灯の下で、子どもたちと日本語を勉強する。停電があれば授業は中断し、「ろうそく」「でんき」という単語を、子どもたちは月明かりの下で覚えることになる。

ひらがな、カタカナ、漢字。おはよう、こんにちは、こんばんは。わたしは、あなたは、かれは、かのじょは・・。

汗まみれになりながら悪戦苦闘し、ふと「おれ、ここで何してるんだろう・・」と我に帰ることもある。少なくとも、日本にいる同年代のサラリーマンはこんなことをしていないだろう。30歳を過ぎて、こんなことをしてていいのだろうか・・と一瞬、不安になることもある。でも、子どもたちが自分で書いたヘタな日本語を自慢げに見せにくると、たまらなく愛おしくなるのだ。

教わる立場の子どもたちからすれば、勉強できない言い訳はいくらでもある。

先生が資格を持ってない、教科書がしょぼい、生徒のレベルがバラバラ、ノートが、教科書が足りない・・

それでもチャンスに必死にくらいつき、ときには一生懸命に、ときには友達とふざけながら学ぶ姿に、私はいつも、勉強の原点を見せつけられるような思いがする。

マスターキートンという漫画が私は好きなのだが、そこに出てくる主人公の恩師は「人はその意志さえあれば、いつでも学ぶことができる」と主人公に説いていた。人間が人間たる所以は、学び続けることが使命だと考えることにある。

私は村の人が好きだ。でも、村の人は、一般的に勉強をしないから、話していて退屈なこともある。

やはり勉強をしない人生より、する人生のほうが楽しいと思うし、そのきっかけとして、日本語教室があるのならば、私がここに来た意味が少しはあるのかな、と思って、人生初の先生役を演じている。

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先輩隊員のカモさんと。

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ダンディーなカモさん。