【vol30】任地で一番悔しかったこと
日本に一時帰国した際、聞かれたことのひとつに
「村での生活で、どんなことが辛かった?」という問いがある。
生活のきつさはもちろん、語学、人間関係・・もちろんいろいろある。
しかし、一番辛いのは、人から無視され、軽んじて扱われることにある。
しかもその相手が身内からとなれば、こんなに悔しいことはない。
「なんとかしなきゃ!」という、JICAのプロジェクトがある。
主旨はいろいろと書いてあるものの、要は有名人が世界中を周ってJICAのプロジェクトを紹介します、という社内報のようなものだ。
昨年末、そのプロジェクトで、あの高橋尚子さんがドンラム村に来た。
現地で、村人ともに協力隊員が汗を流している姿を取材し、それをホームページに載せるという。
しかし、ホームページを見てもらえればわかるが、私は一切、載っていない。
http://nantokashinakya.jp/projects/member_reports/29_takahashi_vietnam_01.php
ドンラム村にいる、別のⅠ隊員が取材対象となったためだ。
私と彼は、同じドンラム村の役所に配属されており、職種も同じコミュニティ開発である。
彼が選ばれた理由はただひとつ。
民間連携ボランティア(企業を休職して参加している隊員)であるということだった。
高橋さんはいつの間にか村に来て、いつの間にか帰っていった。
しかし、いろいろなところから、高橋さんが当日、ドンラム村に来るという情報は回ってきていた。
当時、赴任したばかりの私は、まるで無視されたかのような扱いにショックを受けた。
どうしてショックを受けたのだろう?
そして今でも思い出すと、胸が少し痛むのだろう?
いま振り返ると、私は高橋さんから、「minamiさんもがんばってますね、応援しています」と一言声をかけてほしかっただけなのだ。高橋さんの残した実績や、人間性の素晴らしさは今更振り返るまでもないだろう。当時の私が、高橋さんに一目会うだけで、どれほどの勇気をもらえることか。
家に帰ると、ネズミや虫と闘う夜がまた、やってくる。
まだ村での暮らしに慣れていなかった私は精神的に不安定だったのか、帰り道でいつの間にか泣いていた。
黒い雲が広がっていて夕焼けも見えない、冷たい雨が降る日だった。
たった2人しかいない同任地・同職種の人間のうち、Ⅰ隊員だけがJICAのオフィシャル企画で高橋さんに会って、言葉をかけてもらえた。私だって立派な青年海外協力隊員なのだ。直接の担当でなくとも、そのうちの1分だけでも私にシェアしてほしかった。
後日JICAに電話すると、調整員(JICA職員)はこう言った。
「そもそも、minamiさんに連絡する義務はないですよね?」
「Ⅰ隊員は仕事で対応しているだけです。そりゃ私だって、もし嵐の桜井くんがJICAの仕事でベトナムに来たら会いたいですけど、グッとこらえます」
この1年で、あれほど悔しかったことはない。
もっとも当時、同じ協力隊員の同期に電話したら、慰めてくれてちょっと楽になった。
大した事件でもない。気にしなければそれで終わり。
でも、やっぱり・・ってことってありますよね。そんなことを書いてみました。
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