【vol40】任地で日本語教えてみませんか?
ベトナム首都ハノイ近郊、ドンラムで村人してます。青年海外協力隊員のminamiです。
最近、任地は雨が多く、だいぶ涼しくなってきました。10月は稲狩りの季節を迎え、村全体が黄金色に輝きます。厳しい気候のベトナム北部にとって、1年を通して最高のシーズンがやってきます。
さて、きょうは日本語教室の話題。
私は、任地ドンラム村で、日本語を子どもたちに教えています。(記事参照)。
右も左もわからないころ、先輩隊員のカモさん(建築)に連れられて、いつの間にか先生になってしまいました。
何しろ、ボランティアは4代目で、少し前まではたくさんのJICA関係者も村に来ていました。
ドンラム村にとって、日本人は珍しくない存在なのです。
そんな日本語教室。いつ始まったかも定かではないのでしょうが、毎週定期的に、何年も続いていると聞きます。
誰に強制されたわけでもないのに、教える側も、教えられる側も入れ替わる中で、それでもなお続いているということに、何かしら意義深いものを感じます。
今夜は、特別な日になりました。
帰国間際のカモさんにとって、最後の授業になったのです。
ドラえもんのひらがなレゴブロックを使って教えています。
私も子どものときに大好きだったドラえもん。秘密道具は使えなかったけど、大人になって助けられました。
もしかしたらこの寺子屋のような教室が、いちばんの財産になる活動なんじゃないかな、と思うことがあります。将来、彼らが大人になったとき「昔、日本人がいたな~。日本語教えてくれたっけ」って思いだしてくれて、少しでもプラスの感情が生まれれば、それこそが国際親善であり、国際協力でしょう。それは私にとっても同様で、一生懸命思考錯誤して、どうにか子どもと心が通じ合えたと信じられた瞬間、胸中に嬉しさが駆け巡るような感覚になります。
あのオシムさんも、若き日に東京オリンピックに選手として参加したとき、農家のおばあさんに梨をふるまわれたことをずっと覚えていて、それが50年近く経った日に来日を決めた1つの理由になったと言っています。
ODAで橋をつくったりするのも素晴らしいですが、この草の根の活動に、私は誇りを持っています。
いまこの瞬間も2年という期間、ボランティアとして現地の人とともにとともに汗を流し、現地語を使って奮闘している若者が世界中にいるという事実は、日本にとって経済的価値では計れない大きな価値があるのではないでしょうか。
鴨川さん、2年間、お疲れさまでした!
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↓途中、JICAの宣伝みたいになってしまいましたが・・。たまにはいいでしょう笑。カモさんが帰国した後、本当の意味で日本人が私1人になることに、不安はあります。詳しくは項を改めますが、それでも何とかしてきたし、何とかなるでしょう。ブログランキングに参加しています。ぜひクリックをお願いします。