【vol42】中間発表・・そのとき歴史は動いた?

ベトナム首都ハノイ近郊、ドンラムで村人してます。青年海外協力隊員のminamiです。

隊員には2年間の任期のうち、中間発表と最終発表というオフィシャルな行事が、配属先とJICA、それぞれに用意されている。

先日、ここドンラム村における配属先、ドンラム村遺跡保存管理事務所でも、私の中間発表が行われた。

発表そのものは、滞りなく終わった。生茶クッキーの販路開拓と、これから数カ月の間で行っていきたいことの発表がメインになった。

その後行われた意見交換。所長のコメントの中で、このようなものがあった。

「ミナミは、これからは観光開発の仕事だけをしてくれ。建築や街並み保存の仕事はしなくていい」

うーむ。そんなに異論はないのだが、やけに私を観光課の、そこの1人の上司の下だけで働かせようとする。

理由を考えてみると、所長が目をかけている女性が観光課のトップであるため、私が成果を出すことで、彼女に手柄を与えたいとしか思えない。

ただ、組織上は私の上司にあたるこの女性が、クセモノなのだ。

ふだん、彼女は村に来ない。オフィスや他の外出先ばかり行っている。

私はこれまで、彼女が村人と話したり、一緒に汗をかいている姿を、見たことがない。

どうやら村人は彼女たち公務員にとってはヒエラルキーの一段下にあるらしく、村人と一緒に汗を流すなんて、プライドが許さないのだろう。

冗談のような話だが、村についても、隊員のほうが詳しいくらいだ。

彼女の仕事、それは私や村人の成果を、クーラーの効いたオフィスであれやこれや論評するだけだ。

もちろん基本的な知識不足もあり、まだ30代なのに英語も全くできないし、勉強する気もない。

当然、村人からの評判も悪く、一緒に訪問すると村人の本音を聞けないほどだ。

優しい部分もあり、人としての親切さは感じるが、仕事上のパートナーとしては、私は彼女を見ることができない。

(個人の認識および見解です)このような人物を観光課のトップにした人事は、JICAを中心とした日本側にも責任がある。

およそ10年前からドンラム村を調査し、民家等の保存活動を主導してきたのは昭和女子大などの、文化人類学などの学者たちだ。当然、調査や保存には金がかかるため、支援名目になる理由が必要だ。そこで彼らは、日本の各行政機構の補助金に応募した。JICAもそのうちのひとつで、彼らの発想に乗り、金や人を出した。

その背景には、中部ホイアンの成功例がある。当然、ホイアンにはホイアンの事情があるのだが、彼らはホイアンの成功要因を十分に分析しないまま、支援を決めてしまったのではないか。

2007年には、支援の過程でユニセフが視察に訪れたりして「世界遺産を目指す」という一般受けしやすい支援名目の理由もできた。

支援の具体例としては、例えば草の根技術協力事業が挙げられる。ベトナムに対する支援の対象はドンラム村だけではないものの、2011年からの3年間で、5,000万円近い補助金が、JICAから支出されている。

支援開始から10年経ち、村をいろいろな意味で変えておいて、日本から引き継いだ技術をもとに、肝心の活動を現地で担う管理事務所の人事には「JICAはノータッチです」では、浮かばれないのは村人と、日本の納税者だ。

これまで、ドンラム村について、何人かのJICA関係者とも話をしたが、どこか他人事に聞こえた。

民間ならば、大金を投資したプロジェクトの相手先が独立した人事をした結果、いい加減で赤字を出すような仕事を続けていたら、どういうことなのかもっと真剣に問い詰める。当然、投資した側の責任者も、責任を問われるだろう。

だがJICAの場合、不思議と他人事なのだ。

JICA「昭和女子大が支援をやりたいというから審査して、補助しただけだ」

昭和女子大「JICAが求める結果は、ちゃんと出している。そのあとはベトナム側の問題だ」

ベトナム「調査は終わったけど、我々はまだまだ貧乏で、知識もない。もっと支援してほしい。ただし人事に口は出させない」

仕事は確かに丁寧だ。立派な調査報告書もあるし、たくさん古民家が修復できた。

それなのに、様々な矛盾点が村には噴き出している。能力のない人を要職に置く人事もそのひとつだ。

それでも、日本側には三者三様で、キレイに責任を取らない態勢が整っている。

日本側のそれぞれのトップを問いただしても「そんなこと言われても・・」というのが正直なところだろう。組織委員会文科省、建築家の誰に責任の所在があるかわからないという、新国立競技場の問題に似ている。官僚機構の体質なのかもしれない。

もっとも私は、JICAや日本側の批判をしたいわけではない。

そんなツケを、いちボランティアである私が払う必要は一切ない、ということが私にとっては大事なのだ。

その結果、私が取るべき手段は面従腹背である。私は観光課の職員で、彼女の部下ということにしておいてあげるよ、と。

意見を言いたいときでもグッと我慢し、なるべくニコニコしている(参考記事)

意見交換のなかでは、これから観光課が主体となって、いくつかプロジェクトを立ち上げるようなことを行っていた。

新しいJICA調整員が来たから、とりあえずそれっぽいことを言っておこう、というごまかしの線が濃厚なのだが、村や自分にとってプラスになったら、それはそれでいい。

言いたいことはあったが、ケンカはしないと決めた。

ケンカの火種すら生みたくないから議論もしないし、一緒の空間にもなるべくいたくない。

私は村人と、村のためになるような仕事をすることに決めたのだ。

コミュニケーションを諦めるわけではないが、配属先とそのような姿勢で臨むことが、いまの私には必要な距離感である。

↓赴任当初は、配属先と悩みながらもいい関係を作れている同期を見ていて、正直うらやましかったです。でも、自分は自分。できることとできないことを見極めて、できることは全力で結果を出し、できないことは諦める。そんな姿勢も大切だと思います。ブログランキングに参加しています。たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。

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