【vol67】ドンラム村の紹介!ハノイ日本祭り

ベトナム首都ハノイ近郊、ドンラムで村人してます。青年海外協力隊員のminamiです。

現在、掃除機と洗濯機(脱水機)を探しています。読者の方でハノイ周辺で譲って下さる、売ってくださるという方、letteraamoroso@hotmail.comまで、連絡いただけると助かります。

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11月になりました。日本はすっかり寒くなっているようです。

秋といえばそう、お祭りの季節!

ハノイ日本人学校でもお祭りが開催され、我がドンラム村を紹介するためのブースを出展させていただきました!

当日は青年海外協力隊の仲間や留学生も手伝いに来てくれて、盛り上がりました。

↓ここからはちょっと愚痴が入ります。

私の配属先であるドンラム村遺跡保存管理事務所の所長も見学に訪れ、満足そうな表情で帰って行きました。しかしそれを見て、私は複雑な感情になったのです。なぜなら今回、メインであるはずの彼らは、まったく仕事をしていないから。数ヶ月前、このお祭りに参加したいと所長に持ちかけた時、「やるのは自由だけど、お金は一切出さないよ」と宣言されたからです。そこで諦めては、私がここに来た意味がないし、仕事にならない。もとより村にほとんどおらず、オフィスでボーっとしているだけの配属先。グッとこらえて、ひとりで準備しました。幸いにも主催者、JICA調整員、村人、小売店さん、当日お手伝いいただいた仲間の協力があったからこそ、出展にこぎつけましたが、配属先と一緒に仕事はできないということを改めて実感したイベントでした。

とはいっても、私は彼らを責めようとは思いません。JICAや昭和女子大等、日本側の支援の結果が、このような主体性のない行政組織を生んだ遠因だからです。ときどき機会があり、それとなく彼ら日本人に意見すると、よく「ここから先はベトナム側の仕事だから(私に言われても困るよ)」という答えが返ってきます。()は想像ですが。

しかし、これって逃げ口上だと私は思うのです。

私たち残されたJOCVが困るのはともかく、ずっと住み続ける村人にとって本当にベストの支援をしたと、彼らは胸を張って言えるのでしょうか。彼らが自分の守備範囲の仕事は一生懸命しているのは、村にいればよくわかります。日本が支援した古民家の修復も記録も、よくできている。しかし、全体像を見渡すプロジェクトリーダーがいない。支援をした結果、村がどうなるのか、どうなるべきなのかを見通してプランを立てる人がいなかった。10年単位の視点で見渡す人がいないという、日本型組織や支援の欠陥が、ここにいるとよくわかります。

村は10年どころか、100年も1000年も続くのです。

そのときのJICAの決裁ひとつでコロコロ変わるような支援なら、最初からしないほうがいい。

国際協力は子どもを引き取るような覚悟を持って始めるべきだと、私は思う。

当日は少し肌寒かったですが心配された雨も降ることなく、盛況に終わりました。

ドンラム村の特産品であるお菓子を食べてもらったり、地酒を試飲してもらったりしました。

これでドンラム村の認知度が上がり、村人の収入向上につながればいいな、と思っています。

ぶろう2

400名以上の方にブースに来場いただいたようです。

ぶろう

がんばりました!ありがとう。

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↓ようやく大きなイベントが終わりました。自分の可能性と、限界を知ることができたイベントでした。何よりも皆さんに助けられました。専門がない私にとっては、人のつながりこそが命綱なんだな、と思った次第です。たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。

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