【vol69】ベトナム人との働き方~駐在員について思うこと

ベトナム首都ハノイ近郊、ドンラムで村人してます。青年海外協力隊員のminamiです。

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たまに訪れるハノイで、日本人と会うことも多い。特に私は会社員経験があることから、駐在員とも親しくなることもある。

先日、40代の駐在員男性と飲みながら話をしていると、ベトナム人の働き方について、こう愚痴めいたことを言っていた。

「定時になるとすぐ帰る。家族の事情で早退する。仕事がいい加減で上司の言うことを聞かない・・」

なるほど、その通りである。気持ちはよくわかる。

しかし、ベトナム人にはベトナム人なりの、それらの行動に対する理由がある。

今回、それを私なりに考えてみたい。

まず日本人の特徴を考えてみよう。

「仕事は仕事として、自分の力のかぎりにしっかりこなす」というマインドを持っていることが挙げられる。

日本人は上司の好き嫌いによってやる気を出したり、いい加減に仕事をすることは、まずない。

それはこれ、これはこれ、なのである。

しかしその論理は、ベトナムでは通用しない。その理由を説明するのにわかりやすいベトナム人の特徴を挙げよう。

ベトナム人には、『家族と敵のあいだ』の人間関係が存在しない」のである。

だから家族をとことん愛する一方、敵と認識した人間にはきつい対応を取る。

では、「家族と敵のあいだ」の人間関係って、なんだろう。

イメージでいえば、家族>友達>上司部下>他人>敵と表現できる。

ここで大切なのは、日本人とベトナム人、どの人間関係を重視して、どの人間関係を軽視するかということである。

それがミスマッチを引き起こし、冒頭の駐在員の発言につながってくる。

結論からいえば、日本人が大事にしていてベトナム人が軽視する人間関係は「他人」である。

順を追って説明したい。

他人といってもいろいろあるが、その中でもっとも大事な存在は、「お客様」だ。

日本人はお客様に対しては、一線を引く。学生時代、バイト先に友達が訪れたら、嬉しい反面、戸惑った経験はないだろうか。接客していても、敬語なのかタメ語なのか、話していてもよくわからなくなったりする。お客様は尊重すべき存在であり、友達とは違う。友達なのにお客様。その矛盾が脳にフリーズを起こさせ、戸惑いにつながるのだ。

日本人は、お客様に対しては全力で働く。

そのため自然と、お客様に関連する人間関係である職場での人間関係を重視した生き方となる。

そのため、いくら体調が悪くても、憎たらしい相手(お客様、上司)でもニコニコ対応できる。これが日本人だ。

お客様ほど大切ではなくても、日本人は他人という存在を大切にする。他人とは、公共と言い換えてもいい。ベトナム人には公共心が欠如している。公共心とは、「みんなの場であり、自分の場でもある」から丁寧に扱おう、という意識である。それがベトナム人にはピンとこない。だから、路上の排水溝で子どもにトイレをさせていたり、みんなバスの車内で大声で電話したりする。車道を走るべきバイクも込んでいれば歩道に乗り出し、歩行者の迷惑など顧みない。

一方、日本人は公共心が高い。車内での化粧はおろか、新幹線では子どもに睡眠薬を飲ませろ、なんて意見が出てきたりする。

私が子どものころ、もし体調不良で吐きそうになったら自分の上着をめくり、その上に吐けと親によく言われた。

もし他人にかかったりしたらと思う意識が、そうした教育につながるのだろう。一方、酔ったベトナム人はよく窓から吐く。下にいる人にかかるかもしれない、などとは考えない。

さて、ベトナム人が重視する反面、日本人が軽視している人間関係。それはズバリ「家族」である。

日本人は家族を軽視し、他人を大事にする。だから他人=お客様=仕事のために身を粉にして働いて家族を悲しませる。

一方、大事にされた側=他人に着目すると、極めて質の高いサービスが受けられるし、公共の場でのマナーも高い。

こうした違いに注目すると、冒頭の言葉の対立点が見えてくる。

ベトナム人から言わせると「上司もお客様も家族ではないのだから、尊重する必要はない。だから家族といられる時間を最優先にするのは当然だ。上司らしき日本人が威張っているが、あいつは敵だ。よし帰ろう」となるだろう。

日本とベトナム、どちらが優れている、という話ではない。

ここがポイントだが、日本人がベトナム人とうまくやるためには、たとえ職場であっても、まず上司として、仕事としてという感覚を捨て、「人として」気に入られて「家族の一員として」受け入れられる人間になったほうが早道だ。「仕事だからちゃんとやれ」「まずは上司の言うことに従え」という日本人にとっては当たり前の感覚は、ベトナム人にとってそうではないことを認識する必要がある。

具体的には、部下の誕生日を覚えておいてちょっとしたプレゼントを渡す、体調が悪くて休んだならばショートメールでお見舞いの言葉を送る・・といった、ちょっと大人の男性としてはやりにくい、若干子どもっぽい行動が後々効いてくる。厳しいことを言うのは、家族の一員として認識されてから。そうでないと敵として扱われ、まず言うことは聞いてくれない。

幸いにも、ベトナム人にとって家族の範囲は相当に広い。家族と他人のあいだが存在しないのだから当然のことだが、いったん仲良くなると文字通り「家族のように」大事にしてくれる。濃厚過ぎて、疲れるほどである。逆に家族の範囲が広すぎるために、コネがないと社会的に成功しにくいという副作用もある。ただ、親日感情が高いため、家族のように仲良くなるのは、案外簡単だ。中国人ならばそうはいかないことは、容易に想像ができる。

ベトナムで仕事をしていると、日本でバリバリやってきた人のほうが苦労しているような気がしている。そういった人には当然いい部下や同僚が集まり、レベルの高い仕事ができる。ベトナムにやってきたら戸惑うのは当然である。

むしろ日本では軽い意識で仕事をしてきた人のほうが、案外うまく人間関係を作れて、結果的にいい仕事をしている印象がある。

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ベトナムの結婚披露宴。家の前の歩道をふさいで会場にする。道路って、誰のもの?

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日系企業なのだから、こちらのやり方に合わせろ、という意見はもっともです。ただ個人的には、人件費が安いのを見越して進出し、安価で働いてもらっている以上、ベトナムの流儀に日本側が合わせるのが礼儀なような気がします。たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。

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