【vol79】最低な日本人に遭遇してしまった

先日、ベトナム人の友人の女性から、日本人の夫と、夫の仕事上の関係者とともにドンラム村を訪問するという連絡をもらった。しかし、私は残念ながらハノイで予定があったため、もしタイミングが合えば合流しようということで、話は終わった。

だが、当日の朝になって、困った様子で彼女から電話があり、どうしても来てほしいという。ガイド役がおらず、困っている様子だったので、私は急いで予定を切り上げ、村に向かった。1時間後、息せき切って辿りついた私は、彼女と日本人の集団を見つけ、「こんにちは、お待たせしました」と声をかけた。その瞬間である。

「なんだお前。日本人か」

思わず耳を疑ったが、1人の50代くらいの日本人男性(以下A)が、そう私に言い放ったのだ。私の友人にとっては、夫の仕事上の関係者にあたる。

「ああ。そうだけど、アンタだれだ」

反射的に、私は言い返し、睨みつけた。やや強い口調だったためか、集団に気まずい雰囲気が流れた。私の友人も、何とも言えなさそうな顔をしている。

お金をもらっているわけでもなく、何かをしてやる義理もない。その場で帰ってもよかったが、そうしたら彼女を、ますます困らせることになる・・。私は下を向き、ふー、と深呼吸をして、気持ちを落ち着かせ、数秒後に顔を上げた。「ドンラム村に来ていただき、ありがとうございます。ここは・・」と切り替え、ボランティアガイド役に徹することにしたのだ。Aはそれでも、特にベトナム人に対しては横柄な態度を示し続け、私は不愉快な気分になった。

これで終わっていたならば、大した話ではない。事件はその夜、待っていた。

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どうにか案内を終えた私は、ひと眠りした。疲れが溜まっていたのだろう。気付くともう夜になっていた。ふと携帯を見ると、彼女から1通のメールが入っていた。

「夕食の席で、Aに『おまえはネズミに似ている』って何度も何度も言われた。変な顔だって、笑われた。もう嫌だから、泣いて帰ってきた。日本語なんてわかりたくなかった。空港にも見送りにいかない」

起きたばかりだったが、眠気が吹っ飛んだ。そして、ほどなく怒りが湧いてきた。しかも、Aがそうした発言をベトナム人に対して行うのは初めてではなく、これまで案内役を務めてきた彼女の友人たちに対しても、同様の暴言を繰り返していたらしい。私に対する暴言もその一環で、Aにとっては珍しいことではないのだろう。

Aは最低の輩である。他人、それも女性に対してそんな失礼なことを言ったことはもちろんだが、私が許せないことのひとつが、日本語がわかるベトナム人に対し、日本語で侮辱したことだ。私も、ベトナム人からベトナム語で侮辱されたとき、意味はわかるのに反論の言葉が出てこず、悔しくてやりきれない思いをした経験がある。母国語という絶対的に有利な土俵に持ちこんでおいて、一方的に侮辱的な言葉を吐くなんて、卑劣極まりない。加えて、彼女や彼女の友人は、親切心から、ボランティアで案内を引き受けている。金も払わず、人の親切心に甘えておいて・・。

それと同様に、彼女の夫や、同行者にも私は憤りを覚えた。常識人ならば、Aをまともな人間関係の輪に加わらせてはいけないことくらい、わかるはずだ。それを、ベトナム人の人の良さに甘え、ボランティアで案内をさせ、Aが何を言っても傍観して、一緒に笑っている。たまたま私は日本人だから背景を理解でき、自分の抗議の意思を正確に伝えられるが、ベトナム人はこれまで泣き寝入りをするしかなかったのだろう。それを想像すると、なんともやりきれない思いになった。

私が取れる手段として、同席していた彼女の夫に連絡を取り、事実関係を確認の上、強く抗議した。そもそも、彼がAの防波堤になっていれば、このような事態にはならなかった。彼は奥さんの人間関係に甘え、Aの横暴を許してきた。彼は誠実に謝罪の意を示してきたが、本当はAみずからこれまで侮辱してきたベトナム人に対し、謝罪しなければ筋が通らない話だ。

私や彼女を含めて、困っている人を放っておけない性分にある人が、ボランティアということを気負いなくできるのだと思う。しかし、それがあっさり裏切られ、自分自身が傷つくことに対して、もっと注意深くならないと、自分が辛い思いをしてしまう。残念だったが、これを良い薬にしていきたい。

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↓残念ながら、人間は痛みから多くのことを学びます。私も今回のことを糧にします。たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。

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