【Vol85】海外生活における日本人との付き合い方

ベトナムには「隊員ドミトリー」がありません。隊員ドミトリーとは、首都にある青年海外協力隊員専用の宿泊施設のことです。安全かつ安価で、洗濯機やパソコンが整備され、日本語の本やゲームがあるドミトリーもあるようです。居心地のいい空間であるため、毎週のように利用する隊員もいるそうです。キッチンもあり、みんなでパーティができたりします。病気になったあとの回復施設としても重宝する存在です。建前としては、安全な宿泊施設がない国に整備されているそうですが、タイやインドネシアあたりにもあります。

昨年の赴任当初は、ドンラム村での暮らしに慣れず、ネガティブな感情が強くなっていたこともあり、ドミトリーで仲良く休日を過ごす他国隊員の様子を見聞きすると、落ち込んだこともありました。村で苦しんでいるとき、ドミトリーがあれば救われるのに・・と思ったものです。

ただ、1年経ったいまでは、ドミトリーなしの生活も、よかったのかなと思うようになりました。その理由は、前回も書きましたが、必死で自分の居場所を創造しなければならない環境に強制的に置かれたからこそ、成長できたという実感があるからです。

自分で自分の居場所を獲得することは、とても大変ですが、人生の本質ともいえる、大事なことです。

私にはイスラエル人の友人がいます。彼らユダヤ人には、祖国がありません。だから、必死で自分の居場所を獲得しなければならない。むしろ必死なのが当たり前で、そういう感覚すら、恐らく持っていない。自然と勉強熱心になり、結果として優秀な人が多く、世界中で居場所を得ています。私の友人は、母国語であるヘブライ語の他に、ロシア語、英語に加え、片言の日本語を話します。その日本語ですら、私と会話している数時間でも成長が感じられるほど。ベトナムを研究しているそうなので、ほどなくベトナム語もできるでしょう。驚異的であると同時に、安寧としてはいけないな、と刺激を受けました。

孤独は人を成長させます。もちろん、孤独は誰だって避けたい。でも、それが安易に癒されてしまうと、人は成長しません。私たちにとってごく自然に仲良くなれるのは、同世代の日本人や、似たマインドを持つ青年海外協力隊員です。目の前にオアシスがあって、それをあえて避けるという選択肢を取れる人間は、そうは多くないでしょう。なにしろ、任地ではみんな日本人ひとりで、それぞれに苦労を重ねています。休日に首都に来たときくらい・・という気持ちになるのは、無理もないことです。

ドミトリーのないベトナムでは、そうはいきません。大都市に日本人のコミュニティはありますが、収入の違いもあり、あまり頻繁に出入りはできません。だから日本人ではなく、ごくふつうのベトナム人と、自然と友達になります。だから語学も上達しやすい環境にあります。

ネガティブな意味ではなく、いまベトナムにいる青年海外協力隊員の仲間とは、あまりべったりとした関係にはなりたくありません。その意味で、ドミトリーがなくて、いまはよかったかなと思っています。最初はきつかったけどね・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・

↓ドミトリーを一例に上げましたが、日本人とばかり遊ぶより、ベトナム人の友達、それも日本語を勉強しているわけではないベトナム人とも友達になれる海外生活のほうが、きっと楽しいはず。その意味で、海外生活を送る日本人に共通する話題ではないかと思います。たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ハノイ情報へ
にほんブログ村

・・・・・・・・・・・

ブログパーツ