【Vol92】外国語を勉強する意味って、なんだろう?

外国語ができる喜びというのはたくさんあるが、思ってもいない新しい自分に気づくことができるのも、その喜びのひとつだろう。私は英語が流暢というわけではないが、集中さえ切らさなければとりあえずの会話やメールには不自由しない。最近、少しでも英語ができてよかったなと思う出来事が最近、あった。

そんな嬉しいメールを送ってくれたのは、ハノイ在住のベトナム人の友人。赴任当初、ベトナム語に悪戦苦闘しているとき、彼女は流暢な英語でベトナム語を教えてくれた。私が理解できるレベルをいつも心がけて会話をしてくれ、難しい部分はパッと英語に切り替えて解説してくれる。その優しさと優秀さに、私はいつも甘えっぱなしだ。

私は彼女に、メールを送った。あなたと出会ってちょうど1年が経った。いつもありがとう。

しばらくすると、携帯が鳴った。

「まだ初めてあなたに会った時のことを覚えているわ。時が過ぎるのは早くて、少しだけあなたを変えたように思うの」

私は訊ねた。「どんな風に?」

「Last year you looked like a pure tourist.Now you look like a man who can manage to every difficulties」

「1年前のあなたは、無垢で純粋な旅行者だった。でもいまのあなたは、すべての困難に打ち克つ強さを持っている、そんな男性になっているよ」

1年前の私は、不安感にすべての感情が押しつぶされそうで、1日1日を何とか生き延びていくことで精いっぱいだった。生活するというよりも、生き延びる、サヴァイブするといった表現のほうが正確にものごとを表現できるような日々を、どうにかやり過ごしていた。

それから1年。どうにか群れに馴染んだが、あの日々の記憶は、いまでもときどき胸を締め付ける。その古傷を優しく包み込んでくれるような、そんなメールだった。

これが日本人から、日本語で受け取ったメールだったらどうだろうか。嬉しいことは嬉しいが、外国人から外国語で受け取るメールとは、どこか違う気がする。

語学はただのツールでしかない。その通りだと思う。でも、ツールだからこそ、うまく使いこなすと、新しい自分に気付き、出会うことで自信をつけ、成長できる。だから、少しでも外国語はできたほうがいいと思うし、どうあがいても母国語のようには使いこなせない道具だからこそ、うまく使いこなせた時、心が通じ合った瞬間に、喜びはよりいっそう、大きくなる。だから私は、語学を学び続けたいし、そういう人生を歩んでいくだろう。30歳を超えて決意するのも遅いような気がするが、この気付きは若いときには得られなかった種類のものだろうから、これはこれでいいのだと思う。

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