【Vol95】異文化適応のその先に・・

もうすぐ1年が終わろうとしています。この1年は、私にとって飛躍の年となりました。

昨年、2014年は転機の年でした。新卒で入社して7年間勤めた会社を辞め、70日間に及ぶ派遣前訓練を経て、青年海外協力隊員としてハノイ近郊・ドンラム村に派遣されました。昨年のいまごろは、村での生活をはじめて1ヵ月ほどが経過したころになります。ドンラム村および配属先には、外国語を解す人が1人もいません。コミュニケーションはベトナム語で取るしかありませんでした。加えてはじめての田舎暮らしが辛く、話を聞いてくれる人に出会うと愚痴ばかり言い、ちょっとでも自分より違う状況にある人をうらやんでばかりの日々でした。

それが、2015年を通して、劇的に変化しました。もっとも変化したのは私であり、変化した私につられて状況が好転した、と言い換えてもいいかもしれません。「過去と他人は変えられない」という言葉の通り、変わるのは自分しかありえないのです。優しく接してくれた上司が異動になったり、3人いた同任地の協力隊員が私1人になったりで、むしろ状況は悪化しています。

ベトナムの農村に日本人ひとりで住み、ベトナム語で仕事をして、生活費(月給)300ドルちょっと。よく考えれば、正気の沙汰ではありません笑

それでも、私が自尊心を回復し、サヴァイヴできている理由は何なのでしょう。ここで私が強調したいのは「人を助けることで、人に助けられる」ことの重要さです。もっと簡単にいってしまえば(無理をしない範囲で)利他的な人間になること。人に親切にすると、恩がどこかで還ってきます。例えば、私は先日まで、仕事の事情で縫製工場を探していました。ある日、ミシンを持った人が出入りしている場所を発見し、中に入って挨拶すると、工員さん総出で歓迎してくれて、仕事の話もスムーズに進みました。

なぜか。

その縫製工場に勤めている親御さんの子どものうち何人かが、たまたま私の日本語教室の生徒だったからです。きっと私の話が、どこからか伝わったのでしょう。私は来るもの拒まずで必死に授業をしていただけなのですが、目先の利益を考えずに人のためになるように心掛けていると、いいことがあるという一例です。

1年前の私だったら、こう思っていました。

「日本語教室?日本語教師で来たわけじゃないし、なんでそんなことしなきゃいけないの?そんなことではなく、配属先は、要請通りの仕事をちゃんとおれに与えるべきだよ。JICAも何をさせたくて、おれはここに派遣させたの?まったくみんな、ひどいもんだ」

・・ひとつひとつは事実です。私は日本語教師ではないし、仕事を与えない職場はいい職場とはいえません。リストラ予備軍を自主退職に追い込む「追い出し部屋」もそんな感じみたいですね。そんな配属先に派遣するJICAも、誉められたことではないでしょう。でも、いまの私は、考えが違います。

「仕事がない?だったら、とりあえず日本語教室でもやってみればいいんじゃない?そこから何かにつながるかもしれないし、自分で仕事を創っていこう。そのほうが楽しいよ」

どうでしょう、この柔軟さ。これを私は、成長と呼びたい。

グローバル社会において、異文化適応能力が求められているとよく言われます。でも私は、少しだけその言葉に違和感があります。なぜか。私は異文化に「適応」する能力よりも異文化に直面してそれを「克服」するスキルのほうが大事だと思うからです。例えば、若者がアフリカに馴染んで現地人と同じドレッドヘアにして、毎日仕事もせずに楽しく暮らしているからといっても、彼は「適応」はしても「克服」はしていない。「人類みな同じ。笑顔でピースにいこう!」といった答えしか出せない人もいるかもしれません。

異文化に直面して、混乱して苦労した後に適応し、さらに克服しましょう。それが経験の再現性にもつながります。

この1年、私は人生においてクリティカルな成長を果たしたと思っています。来年はどうなるか、どうするかについては項を改めますが、来年のいまごろ、どんな1年だったか、振り返れる日が楽しみです。

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↓隊員1人1人に、自分のストーリーがあります。苦労したけど、成長できた!という1年になればいいですね。たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。ご意見ご感想や、ドンラム村に行きたい!minamiに会いたい!という人がいたら、お気軽にletteraamoroso@hotmail.comまで。メール待ってます。

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