【Vol105】「嫌われる勇気」を読んで
寒くて寒くて、活動になりません。外気温6度、室温11度。断熱性がよくないため、外気がかなりダイレクトに家の中に入ってきます。冷たい雨が降り続くため、外にもなかなか出ることができず、精神的にもあまりよくありません。夏は40度を超える猛烈な暑さで、冬はかなり冷える。なかなか、厳しい環境です。
こんな日は、家にこもって事務作業に限ります。息抜きになるのが、このブログ。いつもお読みいただき、ありがとうございます。
ときどき、日本からきた旅行者や、在ハノイ日本人と話をすると、その人たちを甘くみてしまうことがあります。「どうせこんな経験していないんだろう」「ベトナム語も話せないくせに、偉そうに語るな」という感情です。もちろん話し方はソフトにですが、そういった感情を皮肉めいた口調で言ってしまったこともあります。でも、そんなことがあった夜って、なかなか眠れないんですね。自分に嫌気がさしてしまいます。
ふと読んだ本の中に、気になる一節がありました。
「他人を競争相手ではなく、仲間としてみなす」考え方です。私はこれまで、競争社会の中で生きてきました。思えば、小学校のころから、人を蹴落とすまではいかなくとも、自分が集団の中でどの位置にいるのか、少しでも上にいくためにはどんなことをすればいいのか、絶えず考えてきた半生でした。そのような価値観の中で生きていると、人間関係すなわち競争相手という方式の中で、他者を捉えてしまいます。
それは部活や予備校でも同じこと。大人になるまで、人間関係=競争関係にある、という前提のもとに青春時代を過ごしてきた人は、少なくないはずです。もちろん大人になってからも、競争から逃れられない人が大半でしょう、
個人的には、競争関係そのものは、嫌いではありません。例えば、青年海外協力隊になるための派遣前訓練。ベトナム語のクラスでは、点数が公にされ、競争心を煽れらました。私は1つでも上の順位に行きたいと必死に勉強しました。しかし、人によっては、そんなことはまるで気にせず、マイペースで勉強しているクラスメートもいて、そういう人に対しては、私はあまりいい感情を持つことができなかったのです。負けてたまるか、という気持ちが、私を動かす1つのモチベーションになっていました。
四苦八苦しながら、いま、私はある程度ベトナム語を使いこなすことができています。それは素晴らしいことですが、そろそろ競争心に基づく努力、という発想がしんどくなってきた。32歳とは、そんな年頃なのかもしれません。
他者を仲間として捉え、仲間のために貢献する人生を送ろうと心掛けると、どうなるか。筆者は続けます。
「相手を信頼する=他者信頼」した上で「私は誰かの役に立っている=他者貢献」を行うと、誰かの役に立っている実感が生まれる。すると「ありのままの自分を受け入れる=自己受容」ができる。それが幸せにつながる・・。
上を見ては自分を叱咤激励し、下を見ては優越感に浸る。そういった上とか下という競争心で人間関係を捉えるのをやめ、他者=仲間に対してなにかできることはないかをまず考える。簡単なことではありませんが、少しずつ実行していくことで、楽になるのかな、と思っています。
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