【Vol109】JICAはルール違反を犯す!?

私は法学部出身である。それほど熱心に勉強した記憶はないが、それほど嫌いではなかったし、それなりに時間をかけて勉強した。法律とはなにか。私なりの定義でいえば、「考え方や背景の違う人たちが社会生活を円滑に営むための規範」である。われわれは、ひとりひとり、考え方や背景が違う。そのような人たちが集まって何かを成し遂げるのが。社会生活。当然、一定のルールが必要なことになる。個々人が勝手に思うことをしてしまえば、ハノイの交通事情のように(笑)結果的にみんなが損をする世の中になってしまう。だから、何か重要なことをしようとするときには、我々は文書で契約を交わす。青年海外協力隊に参加するときも、合意書という名の契約書を、私たち個人とJICAとの間で、これを交わす。

さすがにJICAが作成したモノなので過不足なく、内容が整備されている。私はこのような組織なら信頼できると思い、サインをし、派遣に至った。

とはいっても実際に派遣に至ると、細かな部分で本部と直接やり取りするのは非効率なため、JICA現地事務所が手続き上、窓口となる場合が多い。それ自体は、国外という事情から仕方のない面もある。

しかし、ここに大きな問題が生じている。

JICA現地事務所が、本部の目の届かないところで独自のルールを定め、それを青年海外協力隊員に課しているのだ。

具体例を挙げよう。住居費の問題だ。隊員の住居は配属先が用意するのが原則だが、さまざまな事情で配属先が用意できないこともある。その場合、JICA現地事務所もしくは隊員自らが探して、大家さんと契約することとなる。その場合には、規定額の範囲内でJICAから住居費が支給され、大家さんに支払われることとなる。規定額は、合意書とそれに基づくハンドブックに、細かく記載がされてある。例えば、ベトナム隊員の場合、月325ドル(ちなみにシニアボランティアは1,500ドル)。

これは都市ごとに分かれている国もあって、例えば中国では北京、上海とその他で上限額が分かれている。

私が派遣されているベトナムは、全土で統一されている。合意書にもとづく契約上、ベトナムの任地において、どこに住もうと、月325ドルが上限となる。

数ヶ月前の引っ越しの際、私もその金額を念頭に、大家さんと交渉した。その途中経過をJICA職員(調整員さん)に報告したところ、電話口から耳を疑うような発言が飛び出したのだ。

「この金額はハノイ中心部だけですから。あなたの任地だとそんなには出せないって決まっているので。○×ドル以下にしてください」

・・あなたはどう思うだろうか。「おかしいけど、仕方ない」と思う人。「おかしい」と思う人。「おかしくない」と思う人。それぞれだろうが、私は「おかしい」と思うし、「仕方ない」とは見過ごせなかった。

幸いにも、大家さんが値引き交渉を受け入れてくれて、結果的には希望の家に住めることとなった。しかし、これは重大な問題だ。住居費は、JICA本部が労力をかけて、世界中の任地でなるべく公平になるよう、設定した金額である。加えて、その金額を確認した上で、私たち隊員はJICAと合意書を交わしている。それを、ベトナム事務所独自の判断で覆しているのだ。

会社に例えれば、本部は本社総務部、支店は現地事務所である。本社が決めた社員の処遇を、支店の判断で覆す組織は、組織の体をなしていない。もちろん決める前に意見を言うことはあるだろうが、決まったことは淡々とオペレーションしていかなければ、会社という組織体が回っていかない。

ハノイ中心部と非都心部で家賃が違う、ということは感覚的には理解できる。厳しい予算状況の中、非都心部の隊員の住居費負担は下げたい、というのがベトナム事務所の本音なのだろう。しかし、そうであるならば合意書にそれを記載するというステップを踏まなければならない。それにあたっては、さまざまな意見が出た上で、決定がなされる。その上でJICAが原案を出し、我々が納得してサインして初めて、その家賃設定は正当なものとなる。そのステップを吹き飛ばして現地事務所が独自の基準を設けることは、ルール違反であり、法律違反である。先に紹介した調整員の発言は、法的思考能力が欠如しているものだ。

いま、JICAベトナム事務所は、当国の法律を整備するODA事業を行っている。しかし果たしてこの組織に、他国の法律を整備する能力があるのだろうか。法律とは、それを作るだけでなく、どう実行していくかも合わせて問われなければならないものだ。

それにしても、私は恐ろしくなる。一見手間がかかることでも、何重にもチェックを重ねることで、我々はルールを、そして法律を定めてきた。感覚的におかしいからといって、勝手に末端の判断で法律を解釈して行動することが、どんな悲惨な歴史を生んできたのか。例えば、法律になんら記載されていない行為を、警官の個人的な判断で取り締まりを行っていたら、それは恐怖政治である。国民が警官の顔色を伺って生活しなければならず、暴力を背景にした警官が我が物顔で振る舞う。それは私たちの祖父母が子どもだった時代に、現実にあったことである。

今回のケースはたかが家賃、しょせんお金の問題だ。でも、重大な事故はいつだって細部のひび割れから生じる。そして残念ながら、このようなケースは私が派遣されてからの1年と少しの間で、いくつも経験してきた。原因のひとつに、調整員をはじめとした現地事務所員が合意書やそれを補強するハンドブックを熟読せずに独自の判断で仕事をし、またそれを本部も問題視しないという点にある。

青年海外協力隊事業は、基本的に素晴らしい試みだと思う。でも、抜本的にいろいろなことを見直さなければ、近い将来、重大な事故が起こるだろう。