【Vol111】貧しい少女を見て

ハノイからドンラム村に行く途中には、大きな国道が通っている。村に入る直前のロータリーでは、たくさんの物売りがたむろして、車やバイクの運転手に向けて手を振っている。売っているもので多いのが、バインテーというおまんじゅうのようなお菓子だ。来るかどうかも定かではない客相手にひたすら手を振り、わずか数十円のお菓子を売る・・。そこに、1人だけ、子どもの売り子がいる。年は、7歳か8歳くらいだろうか。

夏は暑く、冬は寒い。そして1年中、1分だって滞在したくないほど、空気が悪い。おまんじゅうが入っている箱をテーブル代わりにしてうつぶせに寝ている姿を見ると、胸が痛む。

これまで私は、彼女の存在に気が付いていても、見て見ぬふりをしてきた。村から自宅まで帰る途中にあるので、ほぼ毎日、バイクの上から彼女のことを見ていたのにもかかわらず。

でも先日、彼女をドンラム村の中で見かけたことで、考えが変わった。彼女は、村の小学校に通っているのだ。学校に通えていることに安堵する一方、彼女に対して抱いたなんらかの感情を無視し続けて、ボランティア活動なんてできないと思った。

まずは、声をかけてみる。おまんじゅうを買う気がないとわかると、無視された。当たり前だろう。でも、寒そうにしているので、手に持っていたホッカイロを半ば無理やり渡し、逃げるように去った。

家に帰ってから、あげられそうなモノを探した。子どもなので、私の防寒着を渡しても、嬉しくないだろう。いろいろ考え、日本のチョコレートやマフラー、ひざかけをあげることにした。マフラーやひざかけならば、大人用でも何とかなるだろう。

翌日。私を見ると、下を向きながらも、少しだけ口元が緩んだ気がした。「エト、アヤシイモノジャナイヨ。ニホンジンノボランティアダヨ。えっと、えっと、とにかく、コレアゲルネ」雑多に詰め込んだ袋を渡し、また逃げるように去った。

これから私は、なにをしてあげられるだろう。いや、そもそも私は彼女に、どうなってほしいのだろう・・。考えてみると、やはりこんなところで働いてほしくないのだ。学校が終わったら、自然の中で友達と遊んでほしいのだ。しかしそれは、私のエゴだ。彼女は家族の一員として、自分の仕事をしているに過ぎないのだ。それを邪魔する権利が、私にあるはずもない・・。

青年海外協力隊は、ボランティア活動といっても、本当の貧困や非差別地域で活動することは、基本的にない。付き合う人も、自然とその地域では裕福な層が多くなる。そのこと自体は、安全面からも無理からぬところだろう。だから、彼女のように、コミュニティからはみ出たような存在は、基本的に付き合うことがない。

でも、私の仕事はコミュニティ開発だ。コミュニティの一員のために、できることがあれば、する。もちろん全員をハッピーにすることはできないから、私の心が動き、かつその心を受け入れてくれた人だけにしか、活動はできない。

私は彼女のために、何かしてあげたいと思う。でも、何をしてあげたら、何をすべきか、どうなってほしいのか・・。わからないことだらけだ。この感情を解決できる教科書は、世界のどこかに存在するのだろうか。

わからない、わからないけれども、私は彼女に笑顔を見てみたいから、そのために何かできることを探す。迷惑かもしれないが、迷惑だと言われない限り、できることはしたい。あしたは、暖かい紅茶を持っていこうか。喜んでくれるだろうか・・。

P2022103.jpg

こんな感じの道路。せめて悪い空気を吸わないでほしい。

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キリスト教には、収入の1割を寄付するという教えがある。私はクリスチャンではなく、学生時代にキリスト教に基づいた教育を受けたにすぎないが、ここまで日本とは違った環境で生活すると、信仰というものも人生で必要なのかもしれないな、と思うようになった。詳しくは項を改めるが、1割とはいかずとも、誰かのために何かをしてあげられることに喜びを感じる人生を送りたい。

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