【Vol112】ラオスのお坊さんを見て感じたこと

もう少しだけ、ラオスネタを。

最近、精神的にとても落ち着いた状態でいられます。肉体的には絶好調というわけではないのですが、自然と笑顔が増え、怒ることもなくなった。ラオスに行ったことが、よい方向に作用していると思います。ベトナムの人も優しいのですが、その優しさは少し接しただけではわかりにくい。ラオス人はおおげさでなく、すれ違う人みんなに微笑む、という感じです。

振り返ってみると、最初の1年は、イライラすることばかりでした。家が劣悪な環境だったり、言葉がわからなかったり、配属先から仕事を与えられなかったり・・それに対して、自分を防衛するために「怒り」という感情を安易に用いていました。さぼっていたわけではなく、仕事に対して誠実に向き合っていたからこそ、誠実でない(と認識した)相手に対して負の感情がたまっていった。当時は当時で精いっぱいやっていたことであり、何ら恥じるところはありませんが、今振り返ってみると、もう少し違うやり方があったかな、と思います。

怒りの感情が生まれること自体は、困難なことです。でも、怒りが生まれた瞬間、「ああ、私は怒っている」と認識するだけで、不思議と怒りが消えていきます。すると、怒りの感情ではなく、でも我慢するわけではなく、毅然とした態度で自分の意思を相手に伝えることができます。それだけで、コミュニケーション能力が上がる。

競争するという価値観から逃れられたのと同時に、怒りという感情からどれだけ距離をおけるか。ラオスで見たお坊さんの修業の大きな部分はそこに尽きるのではないのでしょうか。

思い返せば、ラオスのお坊さんは、普通の人なら怒ってしまうような場面でも、怒りません。裸足で歩いているのでケガをすることもあるでしょうが、怒らない。観光客から見世物扱いされ、失礼な態度を取られることもあるでしょうが、怒らない。といっても悲壮感漂う「我慢」ではなく、ただ受け流しているように見えるのです。もし邪魔になるのであれば、怒ることなく「それはやめてください」ときっぱり伝えるのでしょう。

司馬遼太郎が、サイゴンで活躍した記者、近藤紘一に向けた答辞を紹介します。ベトナムに来て、いろいろと考えさせられる言葉です。

「君はすぐれた新聞記者でありましたが、しかし新聞記者がもつあのちっぽけな競争心や、おぞましい雷同性を、君はできるだけ少なく持つようにつとめていました。競争心、功名心、そして雷同性というこの卑しむべき3つの悪しき、そして必要とされる職業上の徳目を持たずしてしかも君は、記念碑的な、あるいは英雄的な記者として存在していました。

君はすぐれた叡智のほかに、なみはずれて量の多い愛というものを、生まれつきのものとして持っておりました。他人の傷みを十倍ほどにも感じてしまうという君の尋常ならなさに、私はしばしば荘厳な思いを持ちました。そこにいる人々が、見ず知らずのエスキモー人であれ、ベトナム人であれ、何人であれ、かれらがけなげに生きているということそのものに、つまり存在そのものに、あるいは生そのものに、鋭い傷みとあふれるような愛と、駆けよってつい抱き起こして自分の身ぐるみを与えてしまいたいという並はずれた惻隠の情というものを、君は大量にもっていました。それは生きることが苦しいほどの量でありました」

競争心、功名心、雷同性を捨てること。加えて、怒りの感情をコントロールできれば、少しだけラオス人に近づけるかもしれません。もっとも、日本人として、誠実に仕事に向き合う、ベストを尽くす精神は忘れない上で。

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