【Vol122】経験って、役に立つ?

ハノイの人は、ドンラム村の村人に対して、差別意識はない?」

村を訪問した人からそう訊ねられて、私は戸惑ってしまった。その戸惑いは、差別という言葉が、強い意味を持つために起こることだろう。彼は、村にゴミをポイ捨てしていくのがハノイから来た観光客だという話を聞いて、その行為は差別意識から来るものだと感じたようだった。

質問に対して私は、「ハノイの人は、ドンラム村の人を少しバカにしたような態度を取ることもありますけど・・それがポイ捨てにつながっているかどうかはわかりません」と答えた。すると、差別意識があるという仮定が裏付けられたような気がしたのだろう、彼は満足そうな表情を浮かべた。しかし私から見ると、観光客のポイ捨ては、ただのマナーの悪さから来るものであり、差別意識がそこに絡んでいるとは考えにくい。むしろ「旅の恥はかき捨て」に近いものだろう。そこまで説明する時間がなかったので、その話はそこでうやむやになってしまった。

質問を私に対してぶつけた人は、国際協力について見地のある、年配の方。とても鋭い意見をお持ちなのだが、自分の視点が正しいという思い込みも強く、自分の経験を通したフィルターでドンラム村を捉えるので、ときどきピントのずれたことを言う。ベトナムには少数民族も多いから、過去にそこに携わった経験があるのだろう。ただ、ドンラム村に関しては民族的な差別問題はないように私からは見えるし、そんな話を聞いたこともない。

もちろん、ハノイに住むベトナム人から、ドンラム村に住んでいるという私に対して、そんな田舎でよくやっていけるねと同情されることはあるが、それは差別というより、都会人の田舎に対する優越感と表現した方がぴったりする。

ここで私が思ったのは、いかに自分の思い込みが危険かということ。特に、自分の知見がある分野なら、過去の経験を通して物事を捉えがちになる。真剣に打ち込めば打ち込んだほど、過去の自分を肯定したい気持ちも働いて、自分の意見が真実を掴んでいるように錯覚してしまう。もちろん一般的には、経験は認識を助けてくれるが、ときにはまっさらな視点を邪魔をすることもあるということだ。そしてその傾向は、年配の男性に強く感じられる。

彼がそうだというわけではないが、わかったような顔をして質問をぶつけ、満足するようでは、村人の生活に迫ることは難しい。私にとってもよい教訓となった。

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