【Vol137】日常生活で意識しない意外な問題って、なんだと思いますか?

たまたま日本のテレビを見る機会があり、熊本にある避難所の様子が映し出された。たくさんの人でごった返しており、画面を通しても大変な状況だと認識できた。そんな中でも、「水が出ないので、トイレが大変・・」と話す避難者の声が印象に残った。というのも、「民衆と同じ目線で」というのがモットーになっている(実際このモットーは揺らいでいる気もするが、それはまた項を改める)青年海外協力隊員にとって、家の問題、トイレの問題は、悩まされることが多いからだ。

私もそうだった。

築200年と言われる古民家にホームステイさせてもらっていたときのトイレは半屋外、かつ和式だったからだ。生まれたときから屋内、それも洋式トイレで用を足す事が当然の環境で育った私にとって、これは意外にきつかった。もちろん屋外でも和式でも、それこそボットン便所でも用を足すこと自体は、できないことはない。しかし毎回それを繰り返すと、ストレスを感じることになる。だから私の日常は、朝起きたらきょうはどこで用を足そうか考えることから始まった。そしてそれは、ボディーブローのように私の精神を追い詰めていった。朝起きて、落ち着いた気分で、緊張せずに用を足すということは、私の生活にとって譲れないものだったのだ。もちろん日本にいるときには、そんなこと意識したこともない、意外な私の弱さだった。

しばらく経つと1人暮らしになったため、専用のトイレが用意されることとなった。このことにより、ストレスは軽減されたといってよい。ただ、別の種類のストレスもあった。トイレの問題についてJICA関係者に愚痴をこぼしたところ、「トイレくらいで・・そんな根性で、隊員生活なんてやっていけるの?」というニュアンスのことを言われたのだ。不用意に愚痴をこぼした私もよくないのだが、これにはけっこうショックを受けた。

もちろん被災者と隊員生活を同列にすることはできないが、トイレの問題が精神状態に大きな影響を与えることを、私は身を持って体験した。もちろん、トイレなんて大した問題ではない、どんなトイレでもストレスを感じないと言い切れる強い人もいるし、そういう人を私は尊敬するが、そうでない人を「もっと大変な人もいる」「根性がない」と断罪する権利は、誰にもないと思う。特に安全圏にいる人にそれを言われたら、言われた側は傷つく。それ以来、私は誰かの愚痴を聞くときに「その程度のことで・・」ということは極力しないことを心がけている。そんなことを言うくらいなら、話を聞かずに立ち去ったほうが、よっぽどお互いにとってストレスにならないのである。

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隊員生活は極限まで追いつめられることも多いため、自分の意外な強さや弱さに気付くこともできます。その意味で、不便な地方隊員でよかったなと思います。たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。ご意見ご感想や、ドンラム村に行きたい!minamiに会いたい!という人がいたら、お気軽にletteraamoroso@hotmail.comまで。メール待ってます。

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