【Vol152】アイデンティティ諸問題

海外生活をしていると、誰もがみな「自分が日本人である」というアイデンティティを強く持つようになる。異文化の中で奮闘していると、これまで自分が持っていた常識が非常識になり、アイデンティティが揺さぶられ、再構築していく日々だ。そしてそれはしんどく、楽しいことでもある。

そしてそれと同時に、青年海外協力隊員の仲間や在ハノイの日本人を見ていると、日本という大きなくくりの他に、「東北人」「九州人」・・といった、故郷や地域に対するアイデンティティを持っている人が、日本人には多いんだな、ということに気が付いた。

私は東京出身だ。渋谷区で生まれ育ち、下落合、中野と引っ越し、実家を出てからは恵比寿に住んでいた。東京は上京してくる人たちによって形成される土地であり、東京人というアイデンティティは、下町の江戸っ子を除いて形成されにくい。中央線や下北沢といったサブカルチャー的な要素もあるが、むしろそれらは上京してきた人たちが創ってきた文化である。

私自身もその例外ではなく、甲子園で東京の高校を応援することもない。母は静岡出身だから静岡県人のアイデンティティを色濃く持っているが、私は子どものころから、自分と母とは、故郷が違うという意識を明確に持っていたし、いま振り返れば、東京という故郷に対して強い思い入れを持たない自分を、どこか不思議な思いで見つめていた。

先日、ネットで興味深い記事を見つけた。被災地の佐賀人たちという記事だ。この記事、というか記事に対するスタンスをみると、「被災地で活動する佐賀出身者を探す」「佐賀に関わる人でなければ記事にしにくい」ということが佐賀新聞の記者が持つごく基本的な姿勢であることがわかる。それは相当にミクロな視点であり、その編集姿勢に対して、私は純粋な驚きを覚えた。「被災地で奮闘するボランティアの出身地は、その人の本質と何の関係があるの?」と私が編集者ならば考えてしまうが、よく考えてみれば、新聞社としてはそこで独自性を出さなければならないのだから、当然なのかもしれない・・。

それにしても、特に九州出身者の「九州アイデンティティ」の強烈さはすさまじいものがある。そんなにアピールしなくても、いいところだってことは知ってるから!と言いたくなるほどギラギラしている。あのギラギラの源泉にあるものは、いったい何なのであろうか。興味深い。

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