【Vol179】日本人の働き方・・誠実さを勘違いするな!

「仕事は日々忙しくて、それなりに楽しく生活していて、でもこのままでいいのかなって感じてもいる・・」

最近、30歳前後の日本人と会い、そういった話を聞くことが多い。

多くの人が夜遅くまで働き、給料だってよいとは言えない。生活はできているけれども、将来に備えられるほどではない。親の世代にとっては当たり前とされてきた働き方、生き方に、何となく違和感は持っていても、いま手にしているものを捨てるのは怖くて、とりあえずいまの場所に留まっている。そんな人が多い。

そんな人に対し、私は仕事を辞めてさっさと海外に行こう、とは言えない。海外だって仕事は大変だし、加えて生活面での苦労が加わる。所属組織がいい加減だったり、半端な準備で行くと、半端な結果に終わることが多い。

大切なのは働く場所というよりも、感じているそうした何となくの違和感を「違和感があるからやりたくない」と表明し、それでも自分の居場所を築くことのできる実力だと思う。

私が感じる日本人の働き方に対する違和感を、一例に出してみよう。

私は、日本人の多くが「真面目に、誠実に働くこと」と「無理して働くこと」を混同しているような気がしてならない。

真面目に働くとはどういうことか。

「相手の立場になって考える」「ものごとを丁寧に、間違えなく進める」「サボらず、ウソをつかない」ということだ。途上国の人は、なかなかこれができない。ベトナムで仕事をしていると、仕事に対して高い倫理観を持つ日本人であることに誇りを覚えるし、日本人のレベルはすごいって思う。

では一方、無理して働くとはどういうことか。

「体調を崩してまで働く」「社会的な責任を放棄してまで仕事に没頭する」「仕事にリソースの大半を取られる」働き方だ。

今の60代以上の大卒ホワイトカラーの男性と話をすると、職場以外の人間関係を持っていない人が多い。せいぜい学生時代の友人関係くらい。そしてそれは基本的には「日本人の、男性だけ」で構成された社会であり、落ち着いて見渡してみると、かなり同質化した集団だ。そして彼らの多くは、子育てや地域活動といった、職場や仕事と直接関係しない社会的な責任に興味がなく、仕事か、せいぜいゴルフといった趣味くらいしか話題がない。孫はかわいがるが、子育てを分担するような考えには乏しい。忙しい娘夫婦のために保育園に送り迎えをしてあげるおじいちゃんとか、私はステキだと思うのだが。

もっとも、彼らを責めるのは酷だろう。彼らが若かった時代、彼らに仕事以外のことを一生懸命に行う選択肢はなかったのだろうし、彼らが頑張ったおかげで(今のところは)快適な社会を日本にもたらしてくれたからだ。

ただ、問題は彼らに「真面目に、誠実に仕事を行うこと」と、「無理して仕事すること」を意識して分けた経験がないことにある。そこには明確な一線があるし、それをいまだに気付けていない、働き方のコンセンサスになっていないところが、現代の若者の不幸にもつながっている。

繰り返す。

誠実に仕事を行うこと

無理して仕事すること

この2つには、明確な違いがある。その2つを意識的に分けることで、バランスの取れた仕事観が生まれてくる。

8時間の労働時間なら、8時間を誠実に、全力で働けばいい。凄腕の外科医でもない限り、徹夜して仕事をする必要なんてどこにもない。人の命がかかっていない仕事で命をかけて仕事するなんて、ひどく偏った考えだと思う。

残業が長引き、ひどくなると家庭を崩壊させたり、病気になって過労死することのほうが、よほど人生に対して不誠実な振る舞いではないだろうか。「仕事に夢中で、子育てなんてできなかった」ということを武勇伝のように語る人もいるが、むしろそれは恥ずかしいことだ。

もっとも、そんな違和感、価値観を、日本で仕事をしている中で突然表明しても、「じゃあウチの会社では働いてもらわなくて結構」と言われるだけかもしれない。

だから、そんなリスクを引き受けられるだけの実力をつける。価値観を確立させるというメンタル面での成長に加え、スペシャリティなスキルを身につける場として、良質の組織に所属した上での海外生活は有用であると思う。

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