【Vol202】青年海外協力隊員の就職活動①キャリアはリセットされない!?

私は30歳のときに、新卒で7年間勤めていた大手企業(不動産デベロッパー)を辞め、青年海外協力隊員としてベトナム・ドンラム村に赴任した。帰国後3ヵ月が経過した最近になり、数社から内定をいただき、転職活動を終えようとしている。条件も悪くなく、前職と同程度は確保できそうだ。そんな私の経験を踏まえ、「30代」「事務系会社員」「退職参加」での就職活動はどんなものか、何回かに分けてお伝えしたい。

まずは、内定に至るまでの過程を紹介する。

帰国してから約1カ月後、2016年の11月になって、就職活動を始めた。転職エージェントやサイトへの登録、JICAの研修参加、進路相談カウンセラーとの面談といったことからスタートし、話をする中で就職活動においての軸を固めていった。

当初挙げていた条件は「業種にはこだわらない」「英語が使える仕事」「前職と変わらない年収」の3つ。新しいことにチャレンジしたいという思いから、前職と違った業界であるメーカーや商社にエントリーした。その数にして、30社以上。しかしそもそも、書類選考が通らない。あっさり落とされると精神的にも辛くなり、自信を失っていた時期もあった。

そんな中でも、JICAの企業交流会で出会った老舗調味料メーカー(以下A社)には興味をもっていただき、2回の面接を経て内定に至った。ただし年収が低く、本社が東京でないことから最終的にはマッチングしなかった。この経験の後、「拠点」「年収」といった条件面を明確に意識するようになる。私は「住む場所」や「年収」にあまりこだわりを持っていないと自分では思っていたが、やはりあの2年は例外的な2年であり、「田舎暮らし」に加えて「お金がない」生活は、私にとっては強いストレスになっていたのだ。内定欲しさもあり、やや無理して臨んでしまったかなと、今では思う。もっとも

「東京本社がいい」

「海外出張や駐在を視野に入れたい」

「田舎で仕事はできるけど、住むことはできない」

「未経験の業界だと年収を落とさざるを得ない」

という自分の価値観や市場価値が明確になったフェーズであり、それを得られただけでも大きな収穫だった。

さて、A社と同時並行で、他社(以下B社)の面接が進んでいた。B社は前職の不動産デベロッパーに近い業種で、海外事業部配属というものだった。そこでの面接はタフなものだったが、やはりマッチング(不動産+海外経験)は容易で、しっかり準備して面接に臨んだ結果、内定に至った。A社とは違い、特に無理をしているという印象はなく、自然に内定を得ることができた。

この経験から私は「キャリアはリセットするものではなく、修正するもの」だという思いを強くした。

面接では「自己紹介してください」「どうして新卒でその会社を選んだのですか」「どうして協力隊に参加しようと考えたのですか」「どうしてベトナムだったのですか」「どうしてビジネスの世界に戻ってくるのですか」「どうして当社を志望するのですか」と繰り返し問われることになる。そこでは協力隊の経験はキャリアのすべてではなく、一部とみなされる。その答えに本人の価値観が出てくるし、キャリアのターニングポイントにおいての行動をしっかり説明できるかどうかの論理的思考も、同時に試されている。

その意味で「20代は不動産デベロッパーとして7年間、経験を積みました。30歳を迎えたころ、海外で働きたいという思いが強くなったために青年海外協力隊に参加し、ベトナムに赴任しました。帰国後の現在、就職活動を進めていく中で、私が経験してきた不動産+海外経験というキャリアを活かせそうなのが御社の海外事業部、特にアセアンにおけるビジネスだと考え、志望しています」というのは、論理的に筋が通っている。

仕事に対して、自分の譲れない価値観や条件を明確にし、培ってきたキャリアの一貫性を持たせる。それらをしっかり整理した後、面接で能力を証明する。これが就職活動の流れであり、協力隊員は苦戦するといった一般論は必ずしも当てはまらない。

そのためにも、派遣中の後輩隊員には、この2年間で自分の能力を証明するという意気込みをもって活動を進めてほしいし、JICA内での評判や人間関係なんて気にしなくていい。停電に耐える、クーラーはぜいたく品、洗濯物を手洗いする・・こういったJICA的な美学は、ビジネスパーソンには一切評価されないという冷徹な事実も忘れるべきではない。任国での2年間はただの容器、入れ物に過ぎず、そこにどんな水を注いでいくかはあなた次第だ。

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お読みいただき、ありがとうございました。次回は「帰国後の就職活動において、企業に評価されるスキル」について書きます。