【Vol194】ハノイ日本商工会で講演を行います

この度、ハノイ日本商工会で講演を行うこととなりました。村の歴史と、私の活動の話がメインになります。

ビジネスマンの方が多いということもあり、会社員時代の雰囲気で、発表ができるのではと楽しみにしています。

9月14日(水)10:00~12:00 ハノイの日航ホテルで行います。

いろいろな方にお話できるいい機会なので、楽しみです。現在、資料作りを進めています。

お時間があれば、ぜひ、来てくださいね。

・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。ご意見ご感想や、ドンラム村に行きたい!minamiに会いたい!という人がいたら、お気軽にletteraamoroso@hotmail.comまで。メール待ってます。

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村

【Vol193】帰国したら何をしたい?

月末には、もう日本にいる。まだ実感はないが、事実である。帰国後のこと・・ちょっと考えてみたい。

当たり前だが、経済的に独立することが前提となる。会社員時代に貯めた貯金はあるが、健康な30代の男なのだから、経済的に自立することが前提だ。

まずは住む場所。やはり生まれ育った東京がいい。2年間のドンラム村での暮らしを経ての実感だが、私は村に(100%は)馴染むということはできなかった。やはり私はいつでも好きな時にシャワーを浴びたいし、和式便所は使いたくない。村人、特に農民の仕事は尊敬するが、私は本質的に都会の人間である。ただ、農村にも馴染むことができ、居場所を築くことができる、というのが私の特徴だ。

ただ、東京を拠点にしつつ、いろいろなところで仕事をしたい。というのも、私が仕事で楽しいと思うことのポイントのひとつに「いろいろな場所に行って、さまざまな人と会う」ことが挙げられる。会社員時代もそうだった。加えて、海外にも積極的に出たい。ガッツリ入る(語学も含めて)ならば、バンコク、香港、台湾、ホーチミンあたりがいい。英語もガッツリ鍛え、英語、ベトナム語の他に、もう1カ国語をそれなりのレベルにしたい。中国はあまり気乗りがしないが、香港や台湾ならばOKだ。

次にやる仕事。ビジネスで、現場がある仕事。現場があるとは定義付けが難しいが、「画面上だけでは仕事が終わらない」職種である。つまりゲーム、IT、金融以外だったら、基本的にウエルカムである。ただ、ビジネスではあるものの、自分なりに「誰か」を幸せにする仕事をしたい。前職の不動産デベロッパー時代、一番辛かったのはマンション建設反対運動を起こされているプロジェクトに関わったことだった。

私はそれだけで通用する、特別なスキルは持ちあわせていない。ただ、特別なスキルを持つ人同士を掛け合わせ、場や商品を創り、ビジネスにつなげることのできる才能がある。生茶クッキーを例に出せば、農民×パティシエ×パッケージデザイナー×小売店×観光客というところ。そうすることで、ほとんど価値のない茶葉が、カネのなる木に生まれ変わる。このあたりのブランディング能力は、広告代理店に勤めている父に、なんとなく発想が似ている気がする。

いくつか目星をつけている会社、業界はある。基本的に独立ではなく、組織に所属したい。良質な組織に所属することで、自分の力が自然に引きあがるからだ。あとはちゃんと履歴書を作って、オファーも待ちつつ・・。

33歳。いまのスキルで独立すると、東京とハノイを行ったり来たりして、月に2,500ドルくらいはそれほど苦労せずに稼げる雰囲気はある。ただ、それでは足りないよね。2都市だけだと、リスクもある。それを早い段階でブラッシュアップしていき、3,000ドル、4,000ドルにしていく。40代に入って、いつでも独立して月5,000ドル稼げる。そういう人間になれれば、人生楽しく過ごせるだろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。ご意見ご感想や、ドンラム村に行きたい!minamiに会いたい!という人がいたら、お気軽にletteraamoroso@hotmail.comまで。メール待ってます。

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村

【Vol192】仁義を切る、ということ

このところ、個人的に苦い経験があったので、紹介したい。

先日、旅行会社に勤めるAさん(日本人)に、スタディーツアーを企画してもらうため、ドンラム村の案内をした。その後、企画作りの助けになればと思い、近隣の障害者施設を訪れ、そこで活動する協力隊員Bさんのことを紹介したのだ。それ自体は無事に終わった。

残念ながらその後、Aさんからは特に連絡がないため、話は流れたのかと思っていた。

ここまではよくある話だ。

しかし最近になって、Bさんの後任にあたる協力隊員のCさんから、Aさん及びAさんが連れてきた学生数名を、当該障害者施設に案内したということを耳にした。

もっとも、Cさんへの事前連絡はなかったという。Cさんは直前になって突然、案内の依頼を受けたのだ。このような場合、Cさんからみれば、JICAに対してどう報告すればいいか、そもそもよくわからないままに案内を受けてしまっていいものなのか、赴任直後ということもあり、JICAと配属先との間で困惑してしまった様子が見受けられた。

Cさんは優しい人だから、突然のことでも対応してくれたらしい。Aさんや学生さんも満足して帰ったということだ。でも、それでよかったとは済ませられない問題だと、私は感じた。

その後私は、Aさんにどういうことか質問のメールを送り、結果的に彼女に迷惑をかけてしまったことに対して、抗議の意を示した。Aさんを紹介した私にも責任はあるし、今後のこともあるから、自分の意思をはっきり伝えた。

推測するに、Aさんから施設には連絡がいっていたものの、施設担当者からCさんへの連絡がうまくいかなかったのだろう。だからAさんからすれば「ちゃんと連絡したのに・・」となるし、Cさんにとっては「突然来られても・・」となってしまう。

もっとも、いかなる理由があろうとも、そもそもの原因を作ったのはAさんサイド。私からすれば、Aさんからひとこと「こんど、紹介いただいた障害者施設を訪れます。ありがとうございました」という連絡をもらいたかった。もし、事前にそうした連絡をもらっていれば、「いまはBさんは帰ってしまっていますし、後任のCさんは赴任直後です。障害者施設とCさんとのコミュニケーションはベトナム語オンリーのため、緊密にできているとは思えません。そうした案内は、結果的にCさんの負担になる可能性があります。だから念のため、JICAにひとこと連絡しておいたほうがいいです。担当者の連絡先を教えます・・」などとアドバイスし、トラブルを避ける工夫ができたのだが・・。

しかしAさんは私に、こう反論した。

「私は(通訳を通して)施設にはしっかり事前連絡を入れた」

「minamiさんは施設とは関係ない人なので、報告する義務はないでしょう」

「施設の方はみなさん、とても喜んでいました」

「そもそも訪問者が増える、日本人に知ってもらうのはいいことでしょう」

・・・どうだろうか。(仕事ができる人の発想かどうかはともかく)Aさんは必ずしも、間違っているとはいえない。Aさんにとっては、ミスはしていない、という認識なのだろう。

しかし、論理と感情の面で、これは問題がある対応だ。

論理とは、先ほど述べたこと。ひとこと私に連絡をいれていれば、Cさんへの対応がもう少しうまくできた。そうすれば急な施設訪問にはならず、Cさんを困惑させることもなかった。

感情とは、「紹介」という行為に対してだ。紹介してもらった人と何か一緒に仕事を進めることができたならば、ひとこと紹介者に「ありがとうございました。おかげさまでうまく仕事を進めることができそうです」と連絡を入れるのが私にとっての常識だし、そうした行為の積み重ねが、信頼につながる。これを古い言葉で「仁義を切る」と表現する。

しかしAさんは、私の言っている意味が最後まで理解できなかったようだ。結果的にCさんに迷惑をかけてしまったことについては謝罪していたが、それが私への仁義を切るということにどう関連しているのか、わかっていない様子だった。だから「minamiさんに報告する義務はない」なんてことを口にする。そこまで言うなら、絶対に、誰にも迷惑をかけてはいけないという能力と覚悟が必要なのだが、そんなものはない。だから、何気なく人を怒らせてしまう。

そもそも、通訳に頼らざるをえない時点で、不確定要素が増えるのだ。それを「通訳には伝えたのだから私に非はない」「目的は施設訪問であり、隊員訪問を目的とはしていないのだから、施設に連絡すれば十分だ」と思っているとすれば、認識が甘い。通訳を使って何かをしようとするとき、自分の行為が他人に何をもたらす可能性があるのか、それを避けるためになにをすればいいのか、想像力が欠けている。

結局、私は旅行会社に訪問先の候補地を与えてしまったことになる。別に出し惜しみするものでもないのだが、お人よしもほどほどにしないと、結局イヤな思いをすることになる。自分も他山の石にして、気をつけよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。ご意見ご感想や、ドンラム村に行きたい!minamiに会いたい!という人がいたら、お気軽にletteraamoroso@hotmail.comまで。メール待ってます。

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ハノイ情報へ
にほんブログ村

【Vol191】2年間を振り返って

最近、最終発表の資料を作っている。自然と2年間の活動を振り返ることになるわけだが、思い返すとターニングポイントになる瞬間があった。

「ひょっとしたらこの配属先、ハズレなんじゃないか?」

ドンラム村に住み始めて、活動を始めて3カ月ほどが経ったころに、そんな疑問が出てきた。何しろ彼らは私に仕事を与えない。「できることを探しなさい」というのが仕事だった。そもそも観光課なのに、英語を話す人もいない。にもかかわらず、事務所では編み物をしたり、携帯ゲームばかりしている。こんなものといえばこんなものなのかもしれないが、度を越してこれはおかしいと感じ始めていた。

ではどうするか。悩んでいた日々の最中、生茶クッキーと出会った。生産者が村の片隅で、細々と売っていたのを見かけたのだ。

一口食べてみると、甘さ控えめで、おいしかった。パッケージの基礎もできていた。

「これは売れる」と確信したが、懸念点があった。「どこで売る?」という問題だ。

ただ私にはアイディアがあった。ハノイで出会った人や、小売店の話を聞くたびに「ハノイには適当な土産物が少ない」という声を耳にしていたからだ。

ハノイの小売店に卸せば、イケるんじゃないか?」

そんな直感が、頭に浮かんだ。

しかし、猛烈な反対にあった。配属先は私がハノイに上京することを快く思っておらず、「村の特産品なのだから、村の中で売るべきだ」と主張された。また、当時の調整員(JICA職員)からは「配属先の言うことに従ってください」「ハノイに行くのは控えて、早く村に馴染んでください」と繰り返し言われた。

四面楚歌に近い状態。そこから私の奮闘が始まった。配属先の意向とは反するので、孤立した。調整員からは、ニラまれた。訓練所生活を共にした同期とは離れ離れになり、友達もいない。村人は親切にしてくれるが、そもそもベトナム語がわからない。この時期が、本当に辛かった。

そんな中、生茶クッキーの生産者に自分のアイディアを披露し、承諾してもらい、ハノイに行商に出かける機会を得た。

初めての営業先はスターロータスさん。まずは20個、トライアルということで購入してもらった。それから2-3日後、電話が鳴った。携帯を見ると、スターロータスさんからの着信だ。まだ最初の取り引きから間もない時期に、何だろう。「トラブルだろうか・・」と覚悟した。

予想は外れた。

「minamiさん、生茶クッキー、大人気です!もう完売してしまいました。次、いつ持ってこれますか?」

一気に力が抜けた。この瞬間、自分の仮説が正しかったこと、仮説を立証するために汗をかいてきた過程が報われたような気がした。この時期、必死の思いでいただいた現金の重みを、私は一生忘れない。

直感は誰にでもある。でも、その直感はか細いものだから「他人の反対」や「所属組織の常識」といった壁に跳ね返され、実証しようと動くことは簡単ではない。でも私は、私の直感に賭けてみた。当たり前だ。30代の男が、2年間かけて人生をプレゼンテーションしようとしているのだ。サボってばかりの配属先や、どんなキャリアを持っているかもわからない調整員の意見を黙って聞いているわけにはいかない。

これで流れが変わった。結果を出したことで生産者と私の関係は強固なものになり、配属先や調整員は私に対し、それほど表立っては口を出さなくなった。何よりも私自身のメンタルが変わった。自分で自分の活動を切り開いていく苦しみと、それを上回る快感を知ってしまった。これを機に私は、ガツガツ自分で活動を模索していくことになる(以下次号)。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。ご意見ご感想や、ドンラム村に行きたい!minamiに会いたい!という人がいたら、お気軽にletteraamoroso@hotmail.comまで。メール待ってます。

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ハノイ情報へ
にほんブログ村

【Vol190】私の好きな写真(イオンモール編)

「写真のコツは、愛情」。60歳を超えても精力的に活動を続ける、大学時代にお世話になったジャーナリストにそう教えられた。彼女たちは村の特産品の生産者。同じ村人でもそれぞれ集落が違い、もともと親しかったわけではない。そんな彼女たちが私たち青年海外協力隊員の活動をきっかけに、結び付き、ひとつのことをやり遂げた。しかも、舞台は村から遠く離れた大都会ハノイイオンモール。彼女たちの笑顔を見られて、この写真を撮ることができた瞬間、「2年間、やり切ったかな」と感じた。愛情を持って、ひとに接すること。写真に限ったことではないだろう。

14079543_1094129524009757_7363993345536825614_n_2016090123322779a.jpg

2年前、村に着いたとき、初めて親しく話した村人がアインちゃんだった。彼女は高校生で、先代までの協力隊員に日本語を習っていたため、片言の日本語を話すことができた。1年経って彼女はハノイに上京。いまは大学で、日本語を専攻している。彼女の人当たりのよさ、人に好かれる才能というのは、天性のものだ。彼女もイオンモールに来てくれて、イベントのお手伝いをしてくれた。青臭いことを言うようだが、彼女のような若者を増やしていくこと。それが平和への第一歩であり、彼女のような若者を応援することこそ、大人の役割だと思う。

P1012909_2016090123463214e.jpg

・・・・・・・・・・・・・・

たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。ご意見ご感想や、ドンラム村に行きたい!minamiに会いたい!という人がいたら、お気軽にletteraamoroso@hotmail.comまで。メール待ってます。

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ハノイ情報へ
にほんブログ村

【Vol189】秋風のハノイ

残り任期は、4週間ちょうど。上京するまでは、3週間ちょうど。

日中は30度を超えるけど、夜風は少し涼しく、秋の気配を感じてきた。4月から始まっている、長い長い夏。ちょっとでも訪れた秋の気配を、みんな必死で追いかけている。

それなのに、冬はダウンが必要なほどに寒くなる。北部ベトナム人は、そんな厳しい気候に加え、北から攻めてくる外敵をやり過ごすことが至上命題なのだ。とはいえ間違っても、北からの外敵を逆に侵略してやろうなんて思わない。自分たちの実力をよくわかっていて、「弱くてタフである」という一見矛盾する性格を兼ね備えている。最高点を取ろうとがんばるのではなく、最低の合格点を探ることに慣れている。トップは取れないけど、0点も取らないお国柄。トップを取ろうと無理をして0点を取ってしまうこともある私たちは、この国に学ぶべきことが、間違いなくある。

この国で、私は2年間、生き抜いてきた。恵まれている条件も、厳しい条件もあった。20代の経験すべてを注ぎ込んで仕事をし、30代でまだ残っている若さを振り絞って生活してきた。

次はどこに行こう。何をしよう。

2年後の自分も、楽しみです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。ご意見ご感想や、ドンラム村に行きたい!minamiに会いたい!という人がいたら、お気軽にletteraamoroso@hotmail.comまで。メール待ってます。

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ハノイ情報へ
にほんブログ村

【Vol188】青年海外協力隊50周年記念式典はいらない!?

私たちベトナム派遣組というのは、ちょっと特殊な存在だ。

この国での青年海外協力隊員の影は薄い。というよりも、JICA内での立場が弱い。JICAベトナムは大きな組織で、私自身も、いちども話したことのない職員がほとんどだ。「すれ違ったらあいさつをしろ」と派遣前の二本松訓練所では口酸っぱく指導され、それが爽やかな協力隊員のイメージを作っていたのだが、JICA職員はいつも急ぎ足で、あいさつはおろか、目も合わせない。日本の会社らしいともいえるが、ちょっとした寂しさも感じる。

ドミトリーもない。

日本大使館主催の天皇誕生日のパーティーが毎年12月にあるが、協力隊員は(少なくとも首都近郊隊員である私は)声をかけてもらえない。

世界各国で開催されている青年海外協力隊50周年記念式典は、ベトナム事務所では開催されなかった。JICAホームページによると、ブルキナファソ、コロンビア、ソロモン、ガボンタンザニアセントルシア、ジャマイカラオスコスタリカ、ペルー、モロッコカンボジアホンジュラス、マラウィ、中国、マレーシア、エクアドルマダガスカル、フィリピン、ケニアで開催されたそうだ。

天皇陛下がフィリピンを訪れた際には、協力隊員も謁見する機会を得られたようだが、もし皇族がベトナムを訪問されても、協力隊員に声がかかることはないだろう。

なんだか(他の国に比べると)ベトナム隊員は軽視されている様に感じるし、それは気分のいいことではない。

でも、いまとなって振り返ると、それでよかったのだと思う。

JICAが日程を決め、会場を押さえ、経費が支給され、広報までしてくれる。そんなイベントに乗っかって隊員同士で企画を主催したところで、それは身内を中心としたノーリスクなチャレンジに過ぎない。彼らの努力を否定するつもりはないし、活動と両立した上でのイベントなら素晴らしいが、厳しくいえば学生の文化祭や訓練所の延長線上に位置するイベントを海外で行ったところで、それは大人の仕事として評価できるものではないと、私は思う。

協力隊員とは本質的に孤独なもので、JICAはサポート役に過ぎない。JICAに頼った活動がメインになってしまうと、JICAがいないと何もできない、そんな隊員ができあがってしまう。せっかく徒手空拳、孤独な環境でチャレンジできるチャンスなのに、それはもったいないと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・

たくさんの方に読んでいただけると励みになるので、ぜひクリックをお願いします。ご意見ご感想や、ドンラム村に行きたい!minamiに会いたい!という人がいたら、お気軽にletteraamoroso@hotmail.comまで。メール待ってます。

にほんブログ村 海外生活ブログ 青年海外協力隊へ
にほんブログ村

にほんブログ村 海外生活ブログ ハノイ情報へ
にほんブログ村